辻先生にインタビューする筆者

沈黙の響き (その46)

『沈黙の響き(その46)』

はるかなる宇宙からの呼び声(1)

 

≪生徒たちの〝いのち〟に手を合わせて拝む辻先生≫

 日光の「光のしずく安らぎの里」が主宰するオンライン講演会で、先週414日夜、大阪の縄文の家「まだま村」を主宰されている立花之則(ゆきのり)先生が話をされました。立花先生は大阪府高槻(たかつき)市の矯正施設、阿武山(あぶやま)学園で長らく教師をされていた故辻光文(こうぶん)先生のことを採り上げられました。辻先生とは日常的に交流されており、50回ぐらいは会ったと話されていました。

 

立花先生はまったく謙遜して、そのころは辻先生の人間理解の深さには気がつかず、私が辻先生について書いた『苦しみとの向き合い方――言志四録の人間学』(PHP研究所)や講演録『共に生きる』(夢工房だいあん)を読んで、教えられるところが多かったと述べておられました。ところで立花先生も指摘されていた辻先生の宇宙観は、極めて大切な観点を含んでいるので、ここで改めて言及したいと思います。

 

 辻先生が教師をされていた阿武山学園は、問題を起こした青少年たちを父母代わりの教師夫妻の家庭に預けて、人間関係を培(つちか)うことによって人生に立ち向かう姿勢をつくり上げるという大阪府独特の小舎夫婦制の学園です。辻先生はそこで教師をされていましたが、元々は臨済宗の僧侶を目指して修行された在家仏教徒です。

 

でも葬式仏教を嫌い、本当に助け手を必要としている人たちの力になりたいと、阿武山学園に住み込んで、道を踏み外してしまった非行少年少女たちが立ち直るための助力をされていました。

 

辻先生は子どもたちの魂に手を合わせて拝むように接しておられました。すると荒れていた子どもたちは穏やかになり、落ち着いてくるのです。こうして模範的な学寮を営むようになられ、大阪府が矯正教育の研修会を開くときはいつも辻先生を講師として招き、心掛けを教えてもらっていました。

 

辻先生が定年退職後、高槻市に住まわれると、卒業生たちは「結婚しました」とか、「子どもが生まれました」とか言って、ことあるたびに辻先生を訪ねて歓談していました。辻先生のご自宅は「縁庵」(えにしあん)といいますが、文字通り縁が縁を呼んで、みんなが寄り集う場所だったのです。

 

「“いのち”は一つつながりです。自分と他人を分けていたのは、私がまだまだ本当のいのちの実相に気づいていなかったからでした。本当はみんな縁で繋がっているのです。だからこの家は“えにし庵”なのです」

と言われる辻先生に私は地涌(ぢゆう)の菩薩を見た思いがしました。

 

地涌の菩薩とは法華経にある教えで、菩薩は天界から静々と降りてくるのではなく、泥にまみれて地から涌き出してくる存在だといいます。

 

辻先生が宇宙の本質をつかんだのは、S子ちゃんという少女との出会いからでした。そのことは拙著『苦しみとの向き合い方――言志四録(げんししろく)の人間学』(PHP研究所)に書きました。しかしこの本は絶版となって入手できないので、その要点をここに紹介したいと思います。

 

≪母に捨てられたS子ちゃんの悲しみ≫

「あれは1年生に上がるまえのことやった」

不良少女とレッテルを貼られ、こんなに反抗的で扱いにくい子はいないと嫌われていたS子ちゃんは、日記に自分の生い立ちのことをこう書いています。

 

「おかあちゃんがキャンディ買うておいでとお金をくれはった。そいでお店に買いに行ってキャンディ買うて帰ってきたら、おかあちゃんがよそのおっちゃんとダンプカーに荷物をつんではった。弟はもう車に乗せられとった。

 

 私が早う帰ってきて、おかあちゃんがダンプカーに荷物をつんでいるのを見られたのがまずかったのか、おかあちゃんはまた私をつれて買い物にいかはった。さいしょはぞうりを買うてくれ、つぎに洋服を買うてくれはるという。200円お金をもろうたので、いろいろ洋服を見て回っていると、おかあちゃんがいなくなった。2階の売りばもさがし回ったけど、見えあらへん。わんわん泣いてさがしまわっとったら、店の人が放送してくれはったけど、おかあちゃんは姿を見せへんかった。

 

たまたまおらはった近所の人が家につれて帰ってくれはったけど、家にもおかあちゃんも弟もおれへんかった。おかあちゃんは弟だけつれて、ダンプカーのおっちゃんとどこかに行ってしもうた。私をひとりのこして……」

 

日記には信じられないような出来事が書きつづられていました。S子ちゃんは父と共に捨てられ、その父はほどなくして別の女性と再婚し、S子ちゃんは施設に預けられました。

そのショックでS子ちゃんの心は粉みじんに砕け、いつしか陰日向のあるいじけた性格になってしまいました。その場をとりつくろうために白々とした嘘をつき、他の子といさかいをし、先生に反抗してはたびたび施設を逃げ出しました。父親の元に舞い戻ってもそこには居場所がなく、施設に連れ戻されました。いつしか万引きや盗みを繰り返すようになり、とうとう警察のお世話になるようになりました。

 

≪手に負えない子になってしまったS子ちゃん≫

 S子ちゃんを預かった施設では手におえないので、大阪府北摂の丘陵にある阿武山学園に回されてきて、辻先生の学寮に入りました。S子ちゃんはトラブルが多い子どもでしたが、それでもまだ父親が会いに来てくれている間はよかった。ところがその父がしばらくして音信を絶ってしまいました。S子ちゃんは心配して父親の居所を探すと、父親は行き倒れ、身元がわからないまま火葬されていたと判明しました。

 

精神状態はますます不安定なものになり、生活態度はいっそうふてぶてしく、表面的なごまかしが多く、トラブルばかりでした。悪態をついて暴れ、せっかく落ち着いている他の子どもも巻き込んで悪さをするので、辻先生はS子ちゃんを持てあまし、この子さえいなければ……と、ため息をつくこともしばしばありました。

 

≪私はS子ちゃんの“いのち”を見ていなかった!≫

 ところがS子ちゃんに異変が起きました。中学2年生になった夏、以前から異常を訴えていた首と左手指が引きつるようになったのです。精密検査した結果、悪性腫瘍と診断され、急遽入院しました。医者は暗い顔をして、助からないかもしれないと嘆息しました。

 

辻先生はS子ちゃんが間もなくこの世を去ってしまうかもしれないと恐れ、S子ちゃんが本当にいとおしく思えて、どんなことでもしてあげたいと思いました。それまでの自分の中にあった「私はS子を適切に指導している! 私はS子を矯正できる」という思いをお詫びすると、S子ちゃんを見詰める眼差しが柔らかくなっていきました。

 

 S子ちゃんの入院生活は1か月続き、無事退院できました。それからのS子ちゃんはすっかり変わりました。嘘をつかなくなり、新しく入学してくる子どもたちの世話も積極的にするようになったのです。

 

 中学生を終えて阿武山学園を卒業し、准看護師として病院に勤務しながら、看護学校に通いました。ところが惜しくも挫折して看護学校を中退したので、看護師にはなれませんでした。でも気を取り直して、レストランのウエイトレスとして元気に働くようになりました。

 

 ところで私はこの小論のタイトルを「はるかなる宇宙からの呼び声」としました。なぜかというと、子どもたちのどの魂からも、「私を愛して!」というはるかなる呼び声が上がっているからです。それは宇宙の深奥からの呼び声でもあります。その声を聴き分け、私たちの態度を改め、一人ひとりをいつくしみ育むとき、子どもたちは元の素直な姿に立ち返っていくのです。(続き)

辻先生にインタビューする筆者

写真=辻先生にインタビューする筆者