沈黙の響き (その50)

「沈黙の響き(その50)」

自己肯定感はあらゆる推進力の元だ

 

 

≪だっこが与える安心感≫

広島県世羅小学校の1年生のクラスでの1シーンです。先生がかわいい盛りの1年生に話しかけました。

「さあ、今日はすてきな宿題を出しますよ。今日は家に帰ったらお母さんから抱っこしてもらいなさい。家におじいさん、おばあさんがいたら、お2人にもお願いして抱っこしてもらってね。お父さんがお勤めから帰ってこられたら、お父さんにも抱っこしてもらうのよ。そして抱っこしてもらったら、どんな気持ちだったか、それを作文に書いていらっしゃい」

普段出たことがない「抱っこの宿題」という作文の宿題が出たので、クラスは「わあっ」とどよめきました。でもまんざらでもなさそうです。みんなお父さんやお母さんに抱っこされている自分の姿を想像して、はしゃいだり、照れたりしています。ホームルームが終わると、スキップを踏むかのように、楽しそうに教室から出ていきました。

翌朝、みんながニヤニヤしながら提出した作文は、家庭における親子の情愛を見事に書き写していました。例えば次の作文です。

「せんせいが、きょうのしゅくだいは、だっこです。みんながいえにかえったら、りょうしんにだっこしてもらって、そのときのじぶんのきもちをかいていらっしゃいといわれました。そんなしゅくだいははじめてだったからおどろきました。でもうれしかったです。だって、だっこしてもらうこうじつができたんだもん。いそいでいえにかえって、おかあさんにおねがいしました。

『だっこのしゅくだいがでたんだよ。しゅくだいじゃけん、だっこして』

そういったら、せんたくものをたたんでいたおかあさんがおどろいてたずねました。

『そうなの、だっこのしゅくだいがでたの。おもしろいしゅくだいね。だったらだっこしてあげよう。さあ、いらっしゃい。ママのひざにのって』

おかあさんはそういいながら、ぼくをだきしめてくれました。おかあさんにだきしめられていると、あまいにおいがして、ぼくのからだもぽかぽかとあったかくなって、とってもうれしかった。

『けんちゃんはいい子だから、ママのほこりだよ』

そういって、ぼくをなでなでしてくれました。

つぎはちいちゃいばあちゃんです。おかあさんがちいちゃいばあちゃんに、

『だっこのしゅくだいがでたからだっこしてやって』

と、たのんでくれました。ちいちゃいばあちゃんはぼくをぎゅっとだきしめて、

『おおきゅうなったのう。どんどんせがのびるね。もうちょっとしたらおばあちゃんをおいこすよ』

とあたまをなでてくれました。とってもうれしかった。

つぎはおおきいばあちゃんのばんです。おおきいばあちゃんはぼくをだきしめて、もちあげようとして、『おもとうなったのう。もうもちあげきれんようなった』とおどろきました。そういわれてうれしかった。

さいごはおとうさんでした。おとうさんはぼくをだきかかえて、どうあげをしてくれました。くうちゅうにからだがふわっとうかび、うちゅうひこうしみたいできもちがよかった。そしてぼくをおろして、しっかりだきしめてくれました。おとうさんのからだはでっかくて、がっちりしていました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなに、だきしめてもらえました。

だっこのしゅくだい、またでたらいいな」

 大きいお婆ちゃんとはお父さんのお母さん。小さいお婆ちゃんとはお母さんのお母さんです。家族のみんなに抱きしめられて、幸せいっぱいな様子が伝わってきます。父母やお婆ちゃんのぬくもりの中で、どんなに自分が大切にされているか、実感したのでしょう。

温かい大家族の中で子どもが得るものは、自分という存在が愛されているという確信です。そこから来る自分への自信が“存在感”に発展していきます。

 

≪2篇の詩が描写しているもの≫

 この作文と同じものが、茨城県ひたちなか市に住む詩人、鈴木さえ子さんの詩「4人だっこ」に描写されています。

  

一番下の洋輝(ひろき)が赤ちゃんだったころ/膝にだっこしていたら/その上の勇輝(ゆうき)が/「ぼくもすわりたいなあ」/「いいわよ」/ニヤッと笑ってすわった/その次、その上の美穂(みほ)が/じーっと見ている/「すわりたいの? いいわよ」/ニコッと笑ってすわった

知らん顔していた一番上の一摩(かずま)が/三人もすわった膝の方を見ながら/「ぼくもすわりたいんだけどなあ」/そんな目をしてきた/「一摩もすわる? いいわよ」/ケケケッと笑ってすわった

4人を大きな手で抱え込み/――みんなおんなじ、おんなじね――/唱(とな)え歌を歌ったら/なんかうれしくなっちゃった/ドドッとくずれた/一瞬だけの四人だっこ

母さんのお膝は/4人分のあったかお膝

 

こういう母の愛に包まれたら、自分は愛されているという肯定的な存在感が育っていきます。子どもを包む環境はこうありたいものです。

 同じく横浜市に住む詩人の柏木満美(まみ)さんが「いのちのきずな」という詩を書いています。

 

心の中に/この子たちが/今も/このまの姿で/いつづけてくれているから/何があっても/何がなくても/お母さんは/生きていけるのです/へっちゃらなのです 

 

 それを読みながら、自分の場合も母親が背後で自分を守っていてくれたことを知ります。詩は私たちの精神的環境を追憶させてくれ、一種の内観であるような気がします。感謝、感謝です!(続き)

写真=子どもの無邪気な笑顔に私たちが癒やされます