天空を自在に舞うオーロラ

沈黙の響き (その56)

「沈黙の響き(その56)」

人間は宇宙の神秘の扉を開く鍵だ

 

  安岡正篤先生の著述は天啓(インスピレーション)をもたらすものが多い。常人の思考の域を超えたところから発せられるものが多く、その都度ウーンと考え込み、驚嘆してしまいます。例えば次の一文もそうしたものの一つです。

「我々の個性はまことに宇宙の神秘を開く鍵である。我々はみずからの心田を培(つちか)う思想を濃(こま)やかにし、直感を深くすればするほど、宇宙人生から不尽(ふじん)の理趣(りしゅ)を掬(く)みとることができる。大自然の生命の韻律に豊かに共鳴することができる」

 

 何と私たちの個性を「宇宙の神秘を開く鍵だ!」とまで言われています。この指摘には身震いしました。そして天然の響きには「天籟(てんらい)」「地籟」「人籟」というものがあることと紹介されます。

 

「天籟なるものがある。地籟なるものがある。人籟なるものがある。大自然の海の一波である我々の個性が、その大いなる旋律に和して、そこにおのずから湧き出ずるもの、すなわち詩ということができよう。

 

詩の根底には、やはりどうしても純真なる生活、敬虔にして自由なる人格、少なくとも無限への憧憬(しょうけい)、驚かんとする心がなければならぬ。感激は詩の生命である」(『儒教と老荘』明徳出版社)

 

天籟とは大自然に鳴り響く風などの妙音、地籟とは地上に起こるいろいろな響き、そして人籟とは人が作り出すさまざまな音のことをいいます。

 

≪ヒマラヤの白き神々の座≫

私は平成8年(1996)6月、致知出版社から『宇宙の響き――中村天風の世界』を上梓しました。これは脳梗塞で倒れた後の闘病生活を支えてくれた哲人中村天風先生のことを、インドのヨガの行者カリアッパ師について修行したヒマラヤまで出掛け、現地踏査して書き上げた労作です。

 

ヒマラヤの東端にある第3の高峰カンチェンジュンガの麓のゴルケ村での取材を終え、私はヒマラヤ中央部にあるポカラに移動し、アンナプルナに向かう途中の尾根伝いにあるダンプスに向けてトレッキングしました。

 

急坂を登ってようやく尾根道に出ると、深い谷を挟んだ向こうにヒマルチュリ、マナスル、ダウラギリの連峰が飛び込んできました。「白き神々の座」と崇(あが)められているヒマラヤの峰々を見晴るかし、全身がわなわなと震えました。安岡先生が力説されているように、私たちの個性・感性はまさに「宇宙の神秘を開く鍵」なのだと感じました。

 

 地球の屋根といわれるヒマラヤですらそういう感動を覚えたので、天空に舞うオーロラを見上げたら、さらにまた新たな気づきを得られるのではないかと思いました。

 

≪天空に乱舞するオーロラ≫

 数年後の12月、念願だったアラスカのフェアバンクスにオーロラを観に行きました。フェアバンクスはアラスカ最大の都市アンカレジから北北東へ約450キロメートル進んだアラスカ州中央部にあり、冬季は摂氏マイナス30度から40度、真冬にはマイナス50度以下になることもある極寒の地です。

 

 ホテルのあるフェアバンクスの中心部は街路灯など人工的な明かりが邪魔するので、郊外のビジターセンターで待機していると、センターの人が、オーロラが出たぞと知らせてくれました。防寒具の襟を立て、口も頬もマフラーで覆って、急いで零下25度の戸外に出ると、針葉樹の林の上から緑のカーテン状の光の帯が走り、全天を瞬時に動いていました。

 

「ウワー、これがオーロラか!」

 見上げている間に光の帯は幾条もの帯に分かれ、無音のうちに全天にサーッと展開していきます。

「オオッ! まるで生きているみたいだ」

 その速さと変化は想像を超えていて、瞬時に天空を横切り、あるいは乱舞して、驚くような天体ショーが展開されました。

 

安岡先生は、「宇宙の神秘の扉を開く鍵は自分自身の中に内蔵されている」 と言われます。私は改めて、自分の感性を磨くことを仇やおろそかにしてはならないと言い聞かせました。

 

≪人生の至高体験≫

 人間は何かを目撃すると、強い印象を受けます。瞑想によっても魂は引き揚げられますが、視覚的印象もゆるがせにできません。私は取材するとき、現場で追体験することを何よりも重要視しており、追体験するまで深掘りし、追体験を誘引するよう心掛けていますが、このときも自分に命じました。

 

人間は、外見上は起きて半畳、寝て一畳しかないちっぽけな存在ですが、その内容においては無限大に広がっている存在です。感性が高まれば高まるほど、世界は広がり、深まって、認識はものごとの深奥に達します。

 

 私はアラスカでオーロラを見て、私の人生の次元が一段階上がったと感じました。後年、読者を誘って北極圏のカナダ、イエローナイフにオーロラを見に行きましたが、それはこの高揚感を味わってほしかったからです。

 

≪人間の内面には神秘的なむすびの力がある≫

安岡先生は『新編漢詩読本』に大自然の妙音についてこう書いておられます。

「生命のある処、到る処、韻律がある。水のせせらぎにも、風のささやきにも、雲の行き来にも、日の輝きにも、人間の感激にも、やるせない苦悩の中にも、不思議な韻律があって、振動に富む言語文字をもって自らを表現しようとする。

 

 その勝れた表現は、これに接する人々の感情の共鳴を高め、直観の光を遠くし、思索を深め、世の中の打算や仕事の焦燥から人を救って、ほのかな慰めや、時にゆかしい憂愁にも誘う。これは道徳の峻厳、信仰の崇高にも和して、人間の生活を浄化し、精神を救う美の一種で、人々はこれを詩という」(福村出版)

 

 詩や散文を書くことで、私たちの感性はいや増しに研ぎ澄まされていくというのです。それは私も一人のもの書きとして、推敲(すいこう)を重ね、掘り下げることの重要さを感じていました。それだけにこの言葉は身に沁みます。

 

「詩は外部感覚の世界とは違った、一つの内部経験と秩序の世界を造り、利害打算や機械的な思考、衝動的な感情などの有害な副作用から、人間の生命を和らげ、現実の涸渇を沽(うるお)すものである。

 

 人間が自然という風に結ばれるところに創造が躍進する。そして人間の内面には神秘的なむすびの力(産霊〔むすび〕)があり、無限がある。それは勝れた情緒や直観になって働き、事物の内面的調和――神の偉大な生命――実在の新しい発見、今までよそよそしかった事物に思わぬ親密や実感を覚える、その感動をおのずから言語文字に表現する。これがすなわち(しい)()である」

 

 安岡先生は佳書に出合うと、生きていてよかったと感じると書いておられますが、私は安岡先生が得難い佳書を書き残してくださっていると感じてなりません。読書は私にとって掛け替えのない求道の方法です。安岡先生は私にとってまさしく「導きの星」でした。(続き)

天空を自在に舞うオーロラ

写真=天空を自在に舞うオーロラ