チューリヒ湖

沈黙の響き (その63)

「沈黙の響き(その63)」

スイスでの講演に同行した佐伯宏美さん

 

 

 私が佐伯宏美さんを知ったのは、平成13年(2001)9月、スイス最大の商業都市チューリッヒで行われたJAL主催の講演会に参加されたことからでした。日本のことを話してくれる人をということで、私に白羽の矢が立ったようでした。そこで私は読者の方々に呼びかけ、「一緒に行きませんか。そしてスイスの方々と交流しましょう」と呼びかけました。そのツアーに参加された22名のお一人が佐伯さんでした。講演会には200名もの方々が来られて盛況でした。

 

≪スイスで話した四国遍路の醍醐味≫

 私はその一か月前、四国88か所札所1200キロを36日かけて遍路したところだったので、チューリッヒでは、み仏から見守られ、導かれた遍路旅のことをしました。金剛杖が40センチもすり減り、ズックも靴底がすり減って、穴が開くほどの過酷な行脚でした。

 

 この遍路は脳梗塞で倒れ、右半身麻痺にはなったけど、大切なことに気づかしていただき、人生を再出発させていただけたから、そのお礼のため88か所札所を廻ろうというものでした。それにリハビリをかねて1200キロ歩こうと意図しました。

 

 ところが医者からは大反対され、叱られました。

「炎天下を1200キロも歩いたら、また脳梗塞を起こして救急車で運ばれることになってしまう。それは医者として断じて許可するわけにはいきません」

 3年目も5年目も8年目も同じく反対されました。しかし12年目、医者のほうが根負けして、「そこまで言うんだったら、行ったらいい。私は許可しないけれども、自体責任でやるんですね。でも水道の蛇口を見つけたら、口を付けて水をガボガボ飲んで、血液がサラサラなるようにして歩くよう気をつけてください」と、妥協してくれました。

 

 そこで私は50歳になった平成10年(199881日から歩きだしました。1日のノルマが35キロ、もちろん足を引きずりながらの遍路でしたが、方々で接待してくださり、内面的にはとても満たされた旅となりました。四国遍路の詳しいことは『人は何によって輝くのか』(PHP研究所)に書いているので、ここではくり返しません。

 

≪このお遍路にお前を誘い出したのは誰だと思うか?≫

 最後の88番札所の大窪寺で、36日間で完歩できたことを感謝して祈っていると、不思議な声が聴こえてきました。

36日間、実にご苦労であった。しかし、この遍路の旅は誰が企画したかわかるか?」

「えっ、私が企画してお遍路を始めたと思っていましたが……」

「徳島市の南を流れる鮎喰川(あくいがわ)を一宮橋で渡ろうとしているとき、起きた出来事があったな。覚えているか? お前の後ろからバイクで来られた方がバイクを停め、200円お接待くださっただろう」

 信じがたいことに、どうも弘法大師のようです。

 

「もちろん、よく覚えています。ありがたくて、嬉しくて、思わず南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)、南無大師遍照金剛と唱えてその方を拝み、涙がボロボロ出ました」

「あれは山あり谷ありの道を1日35キロ歩くことがどんなに辛いことかを経験すると、たった1本の缶ジュースがありがたくて受け取れないとお前に経験してもらいたかったのだ。みんな生かされ、助けられ、導かれているんだ。そのことを深く感じてもらうために、このお遍路にお前を引っ張り出したのだ!」

 

「ええっ、こんなちっぽけな人間に目をかけ、導いていてくださっていたんですか……」

 私は感激のあまり、大窪寺の太子堂の前に立ち尽くすことができず、私はひれ伏して泣きました。遍路者はとても敏感になっているので、そういう声が聞こえるのです。

 講演会の聴衆にとって、「お遍路(巡礼)は“内なる神”との対話のひと時です」というメッセージは聴衆にはとても新鮮だったらしく、質疑応答はそこに集中しました。

 

≪キリスト教最大の巡礼道カミーノ≫

スイスの方々と歓談していると、キリスト教の巡礼道のことを教えてくださいました。

「仏教でもお遍路を大事にされているんですか? キリスト教でも巡礼はとても重要視していて、その最大の巡礼がスペインのカミーノと呼ばれている800キロの巡礼です。フランス側からピレネー山脈を越えてスペインに入り、イベリア半島をビスケー湾沿いに西へ西へと歩き、スペインを伝道したと言われているヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓に詣でるのです。カミーノが世界遺産に選ばれたことから、今では世界中から巡礼者が押しかけています」

 私は話を聴きながら、今度はぜひカミーノを歩いてみようと思いました。

 

すると「あなたがカミーノに挑戦されるのでしたか、私もその巡礼に参加したい」とおっしゃる方が何人かあったので、「全行程800キロを歩くのは無理ですから、最後の100キロを同行されませんか?」と申し上げ、4年後にカミーノを歩きました。スイスの方々も4名同行され、最後の100キロを一緒に汗を掻きました。

 

 講演の後、佐伯さんと私の共通の友人で半身不随になった人に、旅先で励ましのビデオレターを撮りました。そんなご縁もあって、来年の春先はぜひ広島市で講演会をやりましょうと盛り上がりました。

 

≪スイスの旅先で世界貿易センターのテロ事件に遭遇した!≫

 講演会で知り合ったばかりのスイスの方々がチューリッヒ観光を案内してくださり、さらにはスイスアルプスのトレッキングに同行してくださり、楽しい旅となりました。

 911日も私たちはスイスアルプスのトレッキングを楽しんでホテルに降りてきました。するとロビーに置いてあるテレビに人々が群がって騒いでいます。何事だろうと覗き込むと、何とニューヨークの世界貿易センターの南北両棟に、ハイジャックされた旅客機2機が突っ込むという、にわかには信じがたいテロが発生したのです。ビルは炎上して崩壊し、約3000名の方々が犠牲になりました。国際政治の生々しい現実を突きつけたおぞましい事件でした。

 

 その後、私はみなさんと別れ、オーストリアとドイツの内観研修所の取材に行きました。日本で始まった内観が欧州でも常設の研修所を運営するほどに広がっていたので、実地に取材しました。人間の生命に起こるコペルニクス的覚醒については、とても重要なことなので、別な機会に改めて触れたいと思います。

 

 その翌年3月、佐伯宏美さんは広島アステールプラザで私の講演会を企画されました。何かの組織の会長とか婦人部長とかではないまったくの主婦が、いったいどれほどの人を集めることができるか心配でした。しかし佐伯さんは喜々としてPRに奔走し、その結果、当日は立ち見が出るほど盛況となり、約300人近い人々が参加されました。佐伯さん自身の感性の高さが人々を引き寄せたのです。

 

 私は聴衆の関心の高さを知って驚き、思う存分話すことができました。その後、佐伯さんは何回も講演会を企画し、その都度盛会なので、佐伯さんへの信頼は揺るぎのないものになりました。(続き)

チューリヒ湖

マッターホルン

写真=チューリッヒは同名の湖に面した絵葉書のように美しい街でした。