原爆死没者慰霊碑の碑文

沈黙の響き (その64)

「沈黙の響き(その64)」

頭を傾げてしまう原爆慰霊碑の碑文

 

 

≪謝るべきは日本なのか?≫

ところで話は再び、今年の原爆慰霊式典のことに戻ります。NHKテレビにハニワ型の原爆記念碑に刻まれている碑文「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」が映しだされました。碑文には主語が書かれていないので、普通に読めば、「安らかに眠ってください。私たちは無謀な戦争を起こしたことを反省し、二度と過ちはくり返しませんから」となります。

 

前後の文意を補足すると、「日本は残虐な戦争を始め、その報復として米国は原爆を投下し、戦争を終結させました。失敗の元凶は日本です」となります。原爆被害をもたらしたのは、米国ではなく日本だと断罪しています。

果たしてそうなのでしょうか? 私はとても違和感を覚えます。

 

太平洋戦争終結のあと、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、太平洋戦争後の日本を占領・管理し、原爆取材には徹底した報道管制を敷き、新聞雑誌には原爆関連の情報は一切公表させませんでした。

いやそれ以前に、米軍が日本に対して行った非戦闘員(一般国民)に対する無差別絨毯(じゅうたん)爆撃は明らかな戦時国際法違反だと非難しました。にもかかわらず、米軍は絨毯爆撃を強行し、約300万人の日本国民を殺戮(さつりく)したのです。

 

それを蒸し返されるのを恐れて、「日本は残虐な戦争を始め、その報復として米国はやむなく原爆を投下し、戦争を終結させたのだ」と強弁し、東京裁判も一貫して日本悪玉論で推し進め、無謀にも戦争首謀者として7名を特定して処刑し、横浜の久保山火葬場で荼毘に付しました。しかもその粉骨灰は、犠牲者の墓が建てられて人々が慰霊碑に詣でることがないようにしようという意図から、太平洋にばらまく計画でした。涙も出ないような仕打ちです。

 

その計画を察知した三文字正平弁護士(極東軍事裁判で小磯国昭陸軍大将・首相の弁論人)や市川伊雄(いゆう)興禅寺住職、飛田善美久保山火葬場長は、久保山火葬場から骨壺一杯分の遺骨灰を盗み出し、興亜観音に隠しました。

 

この遺骨灰を昭和34年(19594月、吉田茂元首相が揮毫して「七士廟」が建立され、次いで翌年、三河湾を望む風光明媚な愛知県西尾市の三ヶ根山に岸信介元首相の揮毫で「殉国七士廟」が建立されました。

 

同地はA級戦犯の刑死者7柱に加え、BC級戦犯刑死者901柱、それに収容中に病死、自決、事故死、死因不明で亡くなったABC級戦犯160柱を合わせ、計1068柱が供養され、「もう一つの靖国神社」と呼ばれています。

 

≪GHQが成功した洗脳工作≫

私はGHQが占領軍政下で行った言論統制と、その結果日本人がまんまと陥れられた自虐思想について、拙著『苦しみとの付き合い方 言志四録の人間学』(PHP研究所)の第5章「戦後70年のレクイエム」で徹底して論じました。

 

その3項目で「自虐思想の淵源を探る」と題して、占領軍が占領下の日本に対して行った「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(私訳・戦争を起こしたことが罪だと感じるよう仕向ける情報工作)があったことを明らかにし、「日本は本当に侵略国家だったのか?――大東亜戦争、東京裁判、そして占領時代を検討する」を論じました。

 

私は米国の日本洗脳工作の集大成が、広島平和記念公園の記念碑「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の文言に他ならないと思えてなりません。あれほど印象操作として成功し、日本人の脳裏に刷り込むことに成功したものは他に類例がありません。

 

あの碑文の決定に際し、GHQは徹底して日本政府や広島市に干渉し、昭和天皇(宮内庁)は碑文の主語を「人類」と明記することによって、日本悪玉論を排そうとされましたが、とうとうGHQに押し切られてしまいした。

 

広島市に講演に訪れた極東国際軍事裁判で判事を務めたインドの法学者ラダ・ビノード・パール氏は,「広島、長崎に原爆を投ずるとき、米国はそれを正当化する理由を挙げつらい、何のために原爆は投ぜられなければならなかったか強弁した」として、非人道的行為を強く非難しました。

 

さらに碑文の内容を読み、「原爆を落としたのは明らかに日本人ではありません。にもかかわらず、日本人が日本人に謝罪するのですか? 原爆を落としたアメリカ人の手はまだ清められていない」と難詰しています。

 

国際政治の現実はナイーブな理想論では解決できません。シビアな国家エゴと国家エゴのぶつかり合いです。自国を侵させない力を持つ以外に、生き延びることはできません。そろそろ自虐思想から脱却し、自分の足で立つべきときに来ているのではないでしょうか。(続く)

原爆死没者慰霊碑の碑文

写真=原爆死没者慰霊碑の碑文