壇上宗謙老師

沈黙の響き (その87)

「沈黙の響き(その87)」

 バラが祈りながら咲いています

 

 

 感性が鈍い私ですが、今年の元旦、家内が玄関に飾った生け花に目が奪われました。ヒノキの葉を背景に、2本の白い葉ボタンが赤い実のサンザシとともに生けてありました。葉ボタンはそれまで何度となく見ていましたが、この朝はなぜか心を揺さぶられました。葉は明らかにキャベツなのに、花芯に向かうに従ってだんだんと色が変わり、まるでバラの花のように華やかです。

 

ふと気がつくと、地球という星は見事なまでにいろいろな花で飾られています。寒中に健気に咲く雪割草、庭に花がない時期に彩りを添える寒ツバキ、春になると庭の縁をシバザクラが彩り、夏になると日差しの中で松葉ボタンが咲き乱れます。暖かい日差しのあるところ、どこでも飾り立てています。

 

それらの花は一弁の花としてそこにあるのではなく、目を輝かせて、私にも語りかけているのです。私はまるで花園のような世界に住んでいることに気づきました。この地球という星は奇跡のような星です。

 

その目くるめき内的経験は、先日Zoom対談した壇上宗謙(だんじょう・そうけん)和尚のサイレント・メディテーション(黙想=坐禅)を思い出させました。

 

≪壇上和尚のサイレント・メディテーション≫

みずみずしさが溢れているような壇上和尚は、毎年カリフォルニア州のサンタバーバラで催されている3日間のサイレント・メディテーションに、講師として7年間呼ばれています。50名あまりの受講生それぞれに1本のバラを渡して語りかけられました。

「あなたが手に持っておられるバラを見てください。可憐な花が、祈りながら咲いていますね」

参加者たちにとって初日にはただの1本の無機質なバラでしかなかったものが、3日間の瞑想の時間を通して、それぞれとバラとの間の隔たりが取れて、豊かな交流がなされていきます。いや交流というよりも渾然一体と溶け合っていくのです。

 

壇上和尚は、バラがミツバチや蝶に誘いかけて蜜をあげ、楽しい交わりを楽しんでいると語られます。バラは見詰めている私たちに対しても語りかけてきます。ただ単にきれいに咲いているというだけではなく、バラが祈りながら咲いていると、まるで歌うように説かれます。

檀上和尚はギターがうまく、ピアノも演奏される方なので、話しっぷりも流れるように音楽的です。そんなところも、アメリカ人に受けているのかもしれません。

 

今アメリカでは、仕事や生活から離れて非日常的な場所で自分と向き合い、心と身体をリラックスさせてゆったりと過ごす場所として、リトリートが注目を集めています。壇上和尚が主宰されるリトリートの参加者たちは、わずか3日間で世界ががらりと変化したことに驚きの声をあげます。

 

私はこのコラムで檀上先生のことを和尚と呼びましたが、和尚というとお寺の境内で子猫を抱いて日向ぼっこをしている初老のお坊さんを連想してしまいます。ここに添付した写真で檀上和尚は素敵な青紫色のスカーフを肩に掛けておられますが、とてもおしゃれなお坊さんです。

 

瞑想は私たちの心の目を開いてくれます。檀上和尚が言われるように、自分は祈りや祝福の言葉に取り囲まれていると目覚めたら、世界はさらにきらきら輝いて見えてくるから不思議です。

 

 ≪毎朝送られる花のメッセージ≫

 話は変わりますが、毎朝フェイスブックで、

「おはようございます。今日は、天にいる母の誕生日。母が好きな嗜好品を口にしたり、母を偲び穏やかに過ごします」

 などという言葉を添えて、すてきな草花の写真を送られてきます。

 

 宝塚に住む加藤由佳(ゆか)さんからの朝のメッセージです。その軽やかな文章に、加藤さんの肩まで届くようなすてきなロングヘアがそよ風に揺れているだろうなと連想します。毎朝その写真やメッセージを見ると、自分のまわりにこんな美しい世界が展開しているのかと楽しくなります。ある日のメッセージはさくらんぼに添えてこんな言葉が添えられていました。

 

「歩いていると幼稚園の庭に、真っ赤なさくらんぼの実が顔を出しています。幼稚園児たちが、さくらんぼを育んでいるからか、実の艶(つや)や色が他のさくらんぼと違うようです。真っ赤なさくらんぼの実を鳥たちも見守っています。彼らは実が色づく時期を一番知っています。

園児たちはさくらんぼの実を鳥たちと分けあうの?

それとも先に園児たちが口にするの? 

どうなのかなと勝手に空想して枝を眺めました」

そのメッセージにさくらんぼの花言葉が添えられていました。

「さくらんぼの花言葉は『小さな恋人』『あなたに真実の心を捧げる』などです」

 

≪闘病生活を余儀なくされた親友へのお見舞い≫

加藤さんがフェイスブックでこういう花や果物のメッセージを送るようになったのは、10年前、アウトドアライフを楽しんでいた友人が白血病で入院してベッドで過ごすようになり、自然の移ろいを知ることができなくなったことからでした。

お見舞いに行くとき、季節の花や果実や道端の花を持参すると、

「病室から外に出られた気がするわ」

 と喜んでくれ、満面の笑みを浮かべてくれたのです。

 

それに励まされて、友人に届けるため自然散策が始まりました。それにつれて由佳さん自身が、就職を機に自然から遠退いて仕事に没頭し、人であることを忘れ、ロボットのようにただひたすら働くだけで、ゆとりがない生活を送っていたことに気づきました。

 

 友人が望む四季の様子を散策していると、自分自身も豊かな気持ちになりました。毎年同じ場所で咲く花を愛で、視点を変えて眺めると、自分も穏やかになれるから不思議でした。

残念ながら彼女は健康を取り戻すことはなく、永遠の旅立ちをしてしまいました。でも、彼女に届けた花だよりはその後も続き、10年経ちました。

 

この花だよりは毎回、

「お出掛けの皆さん、お気をつけていってらっしゃい」

 の言葉で終わります。出勤前、ちょっと爽やかな気持ちになり、すっかりファンになった人が心待ちするようになりました。檀上和尚といい加藤さんといい、自然の移ろいに心を留める人々は気持ちも若々しいですね。

壇上宗謙老師

加藤由佳さん

さくらんぼ

黄色いバラ

写真=私たちを瞑想に誘ってくれる檀上和尚。毎朝花言葉を届けてくれる加藤由佳さん。私たちに天然の美を届ける真っ赤なさくらんぼ