「沈黙の響き(その88)」
母が与えてくれた“あんしん”
人間の精神的成長にとって、父母の存在は決定的に大きいように思います。
精神的にも肉体的にも私たちは父母がいなければ生まれてきていないし、手取り足取りして育ててくれました。
「自分とは何か?」
と考えるとき、“いのち”のルーツをたどらざるを得ません。
ありがたいことに、私は大学で人間学の講座を持っております。半年間に15回の講義をしますが、人間の精神史に大きな足跡を残した思想家たちを採り上げ、彼らによって投げかけられているメッセージを学んでいます。
≪内観で深める「自分探し」≫
その中で私がもっとも大切にしている授業が「内観について」で、自分のいのちのルーツを探ります。
内観は昭和15年(1940)ごろ、大和郡山(やまとこうりやま)で、吉本伊信(いしん。1916~1988)先生によって始められました。元々は浄土真宗の僧侶の「身調べ」という修行でしたが、吉本先生はそこから宗教的要素を抜き、自分探しや自己実現の方法として確立しました。
現在では森田療法と同じく、日本初の心理療法として欧米に広がり、ドイツ、オーストリア、スイスなどに常設の内観研修所が設けられるまでになりました。初めはアルコール依存症の治療が目的で使われましたが、そのうち、この内観療法は自己を確立させる力を持っていることがわかり、現在のように、自分探しや自己実現の方法として用いられるようになりました。
大学ではそうした心理療法という学問的な側面も取り上げますが、それ以上に私は学生一人ひとりにとって父や母がどういう存在であるかを掘り下げさせます。知的な分析より、その人にとって父や母がどういうふうに関わっているかを調べさせています。
≪母に電話連絡するのを忘れ、とても心配させてしまった≫
あるとき、一人の女子学生が母親のことをこう語りました。
「私が小学校3年生のときのことでした。母は仕事に行っていたので、私は小学校から家に帰ってくると、まず母に『無事に帰ってきたよ』と電話をかけることになっていました。ところがその日は雪が降っていて、雪合戦ができるほどに積もったのです。
私は母に電話をするのを後回しにして、友達3人で雪遊びに夢中になってしまい、電話をするのをすっかり忘れてしました。母は私から電話が来ないので心配し、学校に連絡をすると、私を探しに急いで帰ってきました。担任の先生はクルマで家まで駆けつけてこられ、家の前で3人がばったり顔を合わせました。
母は私を見るなり『ああ無事でよかった!』と抱きしめ、泣きだしてしまいました。それによって私は、母がどんなに心配したのかを知り、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
その後ある夕方父と話していたとき、父は私より先に死んでしまうと恐怖を覚え、動転してしまいました。そのうち怖くなって涙が出てきたので、急いで台所に駆け込み、晩ご飯の支度をしていた母に抱きしめてもらいました。それによって私の気持ちは落ち着き、安らかになりました。そんな経験があって、母は私に“あんしん”を与えてくれる人だと気づきました。唯一自分があんしんできる居場所、それが母です」
母親は私たちに安らぎの居場所を与えてくれる人でした。
写真=赤ちゃんが見せる委ねきった表情