殉国七士廟と伊藤弘さん

沈黙の響き (その130)

「沈黙の響き(その130)」

愛知県三ヶ根山の殉国七士廟を清掃してお礼参りをしてきました

神渡良平

 

 

極東軍事裁判で戦犯の汚名を着せられ、絞首刑に遭われた殉国七士の慰霊祭が、今年429日に「殉国七士墓前祭」として荘厳に執り行われました。しかしその日、わたしは福岡で講演があって出席が叶わなかったので、この1125日~26日、折しも三島由紀夫、森田必勝大人(うし)が自決された日に記念して、愛知県三ヶ根山(さんがねさん)の殉国七士廟の清掃とお礼参りに行ってきました。

 

東京から澁谷徳彦、美知子さんご夫妻が参加され、Facebookにその報告を載せておられたので、その文章をお借りして「沈黙の響き(その130)」用の原稿を作成しました。

 

東京から車で6時間かかる長丁場のドライブでしたが、澁谷徳彦さんが一人で運転され、私は後部座席で奥さまのお話をお聴きしながらの旅でした。午後3時に着いた三ヶ根山頂の霊園は清々しい空気に包まれ、紅葉に色付いた錦繍(きんしゅう)が彩りを添えていました。前日までの雨もすっかり上がり、真っ青な空に日差しがキラキラと輝いており、落葉を踏みしめて歩くと、次元が違う別世界の空間が広がっていました。

 

 私たちを迎えてくださったのは、元自衛官で墓守をしながら、山頂でレストラン・ユートピアを経営している伊藤弘さん、背中がすっかり曲がってしまい、いろいろ健康不安を抱えながらも、毎月殉国七士廟の清掃を欠かしたことがない91歳の磯部和郎さん、それに、中学教師を退職したあと、ひと頃は千名もの塾生を抱え、これまた毎月の清掃を欠かしたことがない塾経営者の杉田謙一さんでした。

 

 殉国七士廟に祀られているのは、極東軍事裁判で有罪となり、絞首刑になった東條英機元首相や広田弘毅元首相ら7人の戦犯です。極東軍事裁判では、米国はナチスドイツと同じように、日本に意図的に反米軍事路線を歩ませるよう企図した共同謀議者があり、その共同謀議者を絞首刑に伏すことによって、米国の正義を確立することが至上命令としてあったように思います。東條英機元首相以下7名を共同謀議者としてでっち上げ、あたかもナチスドイツのように日本を誤導したと主張しました。

 

 軍部の独走を阻もうとして尽力した広田元首相を、

「軍部の独走を阻めなかった無能な首相」

として断罪しました。広田元首相は福岡市の修猷館高校、私は久留米市の明善高校の出身で同郷のよしみでもあり、その人となりをこと細かく知っています。広田元首相の人柄は城山三郎が『落日燃ゆ』(新潮文庫)に悲劇の宰相として活写しているので、知っている人も多いかと思います。

 

極東軍事裁判の11人の裁判官は、広田元首相の判決について、うち3人(インド、オランダ、フランス)が無罪を主張し、2人(オーストラリア、ソ連)が禁錮刑を主張しています。オランダのベルト・レーリンク判事は、

「広田元首相が戦争に反対したこと、そして彼は平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは疑う余地が無い」

と明確に無罪を主張しています。アメリカの露骨な極東軍事裁判史観には、身内ですら反対していたのです。

 

広田元首相は、

「私はあえて抗弁しない。私の人生で私が何をやったかは歴史が証明してくれる」

 と極めて男らしく、サバサバしておられました。有罪として絞首刑に遭った7人は、日本の身代わりになって、従容と断罪されたのでした。だから私はあの7人の英霊に、あなたがたが防波堤となって日本を守ってくださいましたとお礼を申し上げたかったのです。

 

26日、殉国七士廟の雑草を引き清掃をしていると、終始黄色い紋黄蝶が私たちの傍らを舞っていました。東條英機首相の孫娘である東條由布子さんがご存命のころ、廟の清掃をしているとモンシロチョウが現れて舞い、

「あら、また祖父(東條閣下)が現れたわ」

と喜んでおられ、

「私が死んだら、黄色のモンキチョウとなって現れますね」

と言っておられたそうです。そのとき約束通り、モンキチョウが出現したのには驚きました。蝶が舞うような季節ではないのに、不思議なことです。

 

伊藤弘さんは東條由布子さんの信望が厚く、廟にお参りする方々の交流の場としてユートピアという食堂を託されています。その伊藤さんが真っ先にモンキチョウを見つけ、

「あの黄色い蝶々は由布子さんですよ」

と教えてくださいました。

 

 由布子さんは小柄で華奢な方で、率先して下坐に降り、いつも皆さんに尽くしておられました。亡くなって10年になりますが、未だに廟にご奉仕される方々に慕われています。

 

清掃が終わると、伊藤さんが天津祝詞(あまつのりと)を唱え、その間黄色い蝶々はそっと植え込みにとまり、一緒に式に参加していました。

 

伊藤さんは思いやりの深い方で、もう20年、トンビに魚のアラをやっておられます。4時を過ぎると、40羽から50羽のトンビが上空に現れ、もうそろそろ夕食だなと催促するのです。伊藤さんは町の魚屋から貰ってきたアラを、ピーッと口笛を吹いてレストランの前の駐車場に放り上げると、トンビたちが航空母艦のタッチ&ゴーよろしく見事に受け止めて、再び舞い上がるのです。この航空ショーも見応えがあります。

 

それが終わると、今度は山の中に野犬たちに餌をやりに行かれます。ご自分が体を壊して自衛隊を退官されているので、生き物に対する心配りが半端ではないのです。

「彼らも生きているんです。私は彼らの命を拝んでいます」

 三ヶ根山は何とも心がなごむ、生き物たちの供宴の場でした。

 

山を降りて、みんなでランチをとっておしゃべりし、まだまだ話は尽きません。でもこれから6時間ものドライブがあるから、2時半には三ヶ根山を出発して帰路に着きました。途中、雪に覆われた真っ白な富士山が現れました。傘雲を被った粋な富士山でした。

 

傘雲といえば、カリフォルニア州とオレゴン州の州境に聳えるシャスタ山(4317米)を訪れたときも、五重くらいの不思議な傘雲が頂上に現れ、私たちを見送ってくれました。傘雲を見るのはそのとき以来でしたが、今度の旅も大いに恵まれた旅でした。

殉国七士廟と伊藤弘さん

殉難碑

敬愛する磯部さんと

万世太平の碑

羽を休めるモンキチョウ

写真=➀殉国七士廟と伊藤さん ②殉難碑 ③尊敬する杉田さんと ④万世太平の碑 ⑤羽を休めるモンキチョウ