ブラジルに渡るホームの卒業生

沈黙の響き (その131)

「沈黙の響き(その131)」

存続の危機に立たされたブラジルのプロジェクト

神渡良平

 

 

◇アマゾンの開拓という難事業に耐えられるか

ジョージの成功例が示すように、アマゾンのトメアス第2入植地に設けられた聖ステパノ農園はうまく進んでいるように見えましたが、ことはそう簡単ではありませんでした。横浜という都会育ちのエリザベス・サンダース・ホームの卒園生たちが、果してアマゾンの開拓という難事業に耐え、初志を貫徹して定着できるかという問題がありました。

 

三菱をバックにして大型工作機械を持ち込んで開拓をする聖ステパノ農園を、アマゾンのトメアスに日本から移住して開拓をしていた農民は、自分たちの娘の願ってもない結婚相手ができたと思い、土曜日ごとのダンスパーティに娘を送り込で積極的に売り込み、ホーム出身者は引っ張りダコになりました。

 

彼らは三菱がバックについている御曹司たちなので、うまく結婚させられたらオンの字だというわけです。性にオープンなブラジルの娘たちが攻勢をかけるので、当然のこととして乱れました。仕事が終わったらギターやウクレレを弾いて浮かれ、ただでさえもてる彼らは有頂天にならないはずはありません。

 

それに電気も水道もない開拓村で土にまみれて働くことは容易でありません。途中で挫折して、リオ・デジャネイロやサンパウロなどの都会に逃げていく者もありました。都会育ちの人間には土にまみれて開墾することは酷過ぎたのです。

 

美喜さんのようなはっきりした目的意識を持ち、石にかじりついてでも結果を出すんだというリーダーが常駐していれば、腰砕けになる人が出ても、励まして、初志貫徹させることができたでしょう。しかし機関車役の美喜さんは1年に1度くらいしか来ないから、フォローすることができません。こうして櫛の歯が欠けるように脱落者が出て、聖ステパノ農園の運営に赤信号が点りました。

 

◇先遣隊とホーム出身者の主導権争い

さらにもう一つ、頭の痛い問題がありました。それはホーム以外の者たちで編成された先遣隊とホーム出身者の間の確執です。この先遣隊はブラジル開拓に魅せられて応募してきた人たちで、すでに世の荒波を潜り抜けているから少々のことでは音を上げず、やり抜くだけのタフさがありました。

 

彼らの目から見たら、ホーム出身者は軟弱で、すぐ音を上げるように見えました。彼らは中卒の社会経験もない素人集団に見えるから、危なっかしくて任せられないのです。

ところがホーム出身者にしてみれば、主体は自分たちなのであって、部外者の先遣隊がわが物顔でリーダーシップを発揮することが我慢なりません。

 

ここにも美喜さんのような大所高所から判断し、みんなを説得して引っ張っていく機関車役がいなかったので、両者の間の不協和音は止めどを知らず、混乱しました。先発隊の中には聖ステパノ農園に見切りをつけて、早々に独立したほうがいいと考え、行動に移す人も出てきました。

 

◇K青年が引き起こしたトラブル

美喜さんは何とか聖ステパノ農園を軌道に乗せたかったのですが、何しろ自分の不在はどうすることもできません。美喜さんは公証人に頼んで、美喜さんの死後、農場に残っている青年2人に相続させる旨の遺言状を作らせました。ところがその一人、K青年に問題が発覚しました。すでに既婚者であるK青年が現地の女の子に子どもを産ませてしまい、裁判沙汰になったのです。

 

カトリック国であるブラジルはこうした問題に対する処罰は厳しく、妻子あるK青年は被害者の家族12名の衣食住の一切を見るよう言い渡されました。しかも父親はK青年のバックが三菱財閥の令嬢の美喜さんだと知って、美喜さんのツケで奢侈品を買い、さらにディーゼルエンジンがついた新造船を購入しました。踏んだり蹴ったりです。

 そんなこんなで銀行に積み立てられていた聖ステパノ農場の預金は空になり、ディーゼルエンジンがついた新造船は未払いのままになっていました。

 

 その結果、美喜さんはK青年一家4人を日本に送り返し、聖ステパノ農場は売却して未払金に当て、事業を撤退することにしました。ブラジルの事業はもう15年が経過しており、ある意味でエリザベス・サンダース・ホーム事業の総決算のようなところがあっただけに、美喜さんの失意は大きいものがありました。

 

◇小坂井澄さんが美喜さんの性格について懐いた疑念

美喜さんは自著に、K青年の不品行が原因でブラジルの事業がご破算になったと書いていますが、これに疑念を感じた『これはあなたの母――沢田美喜と混血孤児たち』(集英社)の著者小坂井澄さんは、日本に帰国しているK青年とその妻を取材し、どうもそれは美喜さんの一方的見解のようだと推論しています。

 

小坂井さんは、このころ本家本元のエリザベス・サンダース・ホームおよび聖ステパノ学園の経営は苦しくなっており、崩壊しつつあったブラジルの事業から撤退せざるを得ない状況に追い込まれていたと推測しています。エリザベス・サンダース・ホームの事業はいつも経営危機にあり、美喜さんはそれを何とかしのいでいたので、この経営危機説も鵜吞みにはできません。

 

それに小坂井さんは、聖ステパノ農場の相続者の一人として指定されていた山岡満夫さんの妻の証言を取りつけ、

「美喜さんという人は性格として、誰かを悪者にして、その人に罪を押し付けるところがありました」

 と、美喜さんに対する厳しい評価を載せています。激しい性格の美喜さんにはそういう側面もあったのかもしれません。いずれにしても聖ステパノ農場のリーダーが現地にいなかったことが、あのプロジェクトが挫折した理由だと思われます。アマゾン開拓というのは難事業中の難事業だったのです。

ブラジルに渡るホームの卒業生

澤田美喜3

写真=①横浜港からブラジルに向けて出港したエリザベス・サンダース・ホームの青年たち ②いつもプロジェクトの牽引車だった澤田美喜園長