心に永遠を浸潤させる

週刊 「先見経済」 8月第2週号 連載93

私は五月、『安岡正篤の風韻――喜神を含む生き方』(同文舘出版)を出版した。風韻とは現代ではもう死語になった感があるが、「枯れた人柄」というほどの意味である。
 安岡正篤が逝去したのは昭和五十八(一九八三)年十二月十三日のことだから、もう二十七年にもなる。それでも大手書店には安岡本のコーナーがあり、道を問う人々が安岡の本を求め、深く得心している。
 そこで私は現代においてもなお人々を惹きつけてやまない安岡の魅力はどこにあるのかを明らかにしようとして本書を書いた。
私はその理由の一つを「薫習」という言葉で表現した。お香を焚くとその香りがいつの間にか衣服にしみつくように、優れた人の側にいると、知らず知らずのうちに立ち居振る舞いが謙虚になり、人物ができてくることをいう。
そのことを道元は霧という比喩を用いて説明している。
「霧の中を行けば、覚えざるに衣湿る。よき人に近づけば、よき人になるなり」
側にいたいのだ。側にいるだけで心が休まり、生きる力を得るのだ。安岡はそういう人だったから、多くの人々は彼が主宰する会に出、著書を読みして、切磋琢磨して人格を磨いたのだ。
格好な素材を提供してくれたのが現代の麒麟児といわれる北尾吉孝SBIホールディングス社長だ。北尾社長は東洋の古典をはじめ安岡人間学によってそのバックボーンを形成している。ビジネスを遂行する人間自身の主体性を培わなければ、ただの守銭奴に堕してしまう。私はその危険性を含めて、様相をつぶさに書いた。
 安岡の魅力の一つは私たちの心の姿勢を正してくれることにある。例えば『新憂楽志』(明徳出版社)にこういう一節がある。
「人々はこの騒然たる現代文明の中にあって、何よりも自己を失ってはならぬ。自己の心情を温存せねばならぬ。余りに現実的であることから一歩退いて、時に彼岸の声、宇宙からの光をわが衷に受けるぐらいのことがなければならぬ」
 残念ながら現代社会は効率を追い求めるあまり、逆に人間性をすり潰してしまいがちだ。その圧力に屈して自己疎外に陥ってしまわないためには、「彼岸の声」を聴き、「宇宙からの光をわが衷に受ける」ことが必要だと説く。
彼岸の声を聴くとは、永遠というものさしを持ち、現実のことに右往左往しないということだ。天は私のことをわかってくださっているという思いが慰めとなり、励ましとなる。安岡はさらにこう述べて我々を励ましている。
「東洋人は現実の生に喪心したり、狂騒したりする頽廃放蕩ではなく、心に『永遠』の浸潤を受けて、現実の色の薄められる虚無自適の心情を豊かに持っていた」
 心に永遠を浸潤させ、凜とした自分を保持したいものである。