ぶれないためにも人間観を持とう

週刊 「先見経済」 12月第2週号 連載97

人間とは何か! 一定の人間観を持つことは、自分の座標軸がぶれないために大切なことである。これを持たないと現実の出来事に影響されて、迷ってしまう。私は自分の人間観を形成するにあたって、安岡正篤の人間観には大変参考になった。安岡は『運命を開く』(プレジデント社)にこう書いている。
「人間の生命というものは全きもの、無限にして永遠なるものです。その偉大な生命がなんらかの機縁によって、たまたま一定の存在になり、一つの形態を取るのです。われわれ人間が存在するということは、すでに無限の限定であり、無限の有限化であることを知る必要があります。この有限化を無限と一致させるということが真理であり、道理であり、道徳であります」
 私は青年時代からいつも「人間とは何か」と考えていたので、この一節を読んだとき、膝を叩き、まったくそうだとうなずいた。
 ――私という存在は無限なる存在が有限化して現れたのだ。従って地上に出現した私という存在を錬磨して、大本の無限なる存在に限りなく近づけることは、私に託された使命だ。私は私を作り上げることを通して、天地創造に加担し、その一翼を荷っているのだ!
 その自覚は「聖使命の自覚」とすら言うことができた。この使命に目覚めたら、頑張らずにすますことはできない。こうして夜も昼も、寝ても覚めても、ただひたすら精進する日々が続き、少しずつ形ができていった。
安岡が私に気づかせてくれたものに、「独を抱く」ことの大切さがある。『照心語録』(関西師友協会)にこう書いていた。
「人間にとって『独を抱く』ことは非常に大切だ。独とは単なるひとりではなく、相対に対する絶対の境涯を示す。つまり、群集に伍し、大衆に混じることなく、自己に徹するということだ。人は自己の絶対に徹して、はじめてあらゆる相対に応じることができる」
私は安岡の勧めに従って、一日の執筆が終わると書斎の灯りを消し、月明かりや星明かりを招き入れて独り坐る。静寂なひと時が流れ、いつしか悠久なる世界、絶対の世界に対峙する。
すると、世俗の世界にあったときの心の乱れが消えてゆき、絶対の自分が現れてくる。そして今生の人生でこれだけは成就しておきたいという心願が固まっていく。それは揺るがない。自分の弱さや他者に妥協しない。孔子がそうであったように、「一以って是を貫く」信念ができてくる。その姿ははた目には頑固に見えるかもしれないが、本人はいたって自由で、融通無碍である。明鏡止水の境地だ。
と言えばかっこいいが、少なくとも目標とすべき境地が見えてきたことは確かだ。だから安岡には感謝せずにはおれない。安岡は私の心の眼を開いてくれたのだ。