中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 十三 マンダラのメッセージ

桑原健輔さんの抜粋の第14回目です。

中村天風「幸せを呼び込む」思考   神渡 良平著   講談社+α新書

銀河系宇宙
銀河系宇宙

 

十三 マンダラのメッセージ

 

 「人の生命は常に見えざる宇宙霊の力に包まれている。

 したがって、宇宙霊のもつ万能の力もまた、我が生命の中に当然存在しているのである。 ゆえに、いかなる場合にも、またいかなることにも、怖れることなく、また失望する必要はない。

 否、この真理と事実とを絶対に信じ、恒に高潔なる理想を心に抱くことに努めよう。

 さすれば、宇宙真理の当然の帰結として、必ずや完全なる人生を作為される。

 今ここにこの天理を自覚した私は、何という恵まれた人間であろう。

 否、真実、至幸至福というべきである。

 したがって、ただこの上は無限の感謝をもってこの真理の中に安住するのみである」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

 

 

天界からの贈り物

 平成十九(二〇〇七)年の夏のことである。カナダのバンクーバーに滞在していたマンダラ・アーティストの鯉沼香帆さんは、日本からやってきた友達二人と昼食を摂りながら会話していた。

「日本に帰って生活していると、精神的に疲れてしまい、身体の調子まで悪くなってしまうの。バンクーバーにいるときの幸せ感を忘れてしまうのよねぇ」

「周りにいる人たちはみんな生きていくのに精いっぱいだし・・・。仕事や家庭に対する責任感から、毎日時間に追われているみたいなの」

「それを見ているうちに、私もだんだん疲れてしまうの・・・」

 香帆さんはそうした会話を聞きながら、そうした傾向は何も日本だけではなく、世界中の人が経験しているのではないかと思った。

(何かに追われているような焦燥感ーー。それから解放され,自由で幸せであれたら、どんなにいいだろうか。みんながそれをねがっている・・・)

 その夜から香帆さんに「世界平和への祈り」と題するマンダラが現れだした。

 いつもの時と同じように、次から次へと現れてくる円をコンパスで描いて行く。

(これぐらいの大きさ?)

(もうちょっと小さく)

 次は円が重なる所を鉛筆で線を引いていった。すると、突然稲妻のようにインスピレーションが走った。数ヶ月前、ロサンゼルスで買った女性の体の形をした型のことを思い出したのだ。

 その型を使って線の上に描き込んでみると、何と大きな円の中にぴったりはまった。それもその数が十二名、それぞれがみんな手をつなぎ合っているのだ!

(これって、何!)                                香帆さんが意図して計って描いたものではなく。自然に現れたものだ。何か奇跡を経験したような気がして、一人で興奮してしまった。                   香帆さんは十二名の人型を虹色の点で埋めながら、この十二名は人間の魂と、宇宙のすべての生命とを表していると感じていた。たとえ宗教や生き方、考え方が違ったとしても、慈愛の心で譲り合い助け合って、共に生きるということ、を。

 こうしてマンダラ「世界平和への祈り」が完成した。

 すると、今度はこのマンダラを囲んで、参加者全員が手をつなぎ、「世界平和への祈り」を捧げよと告げられたのだ。すると不思議な導きがあって、平成二十(二〇〇八)年七月、オレゴン州アッシュランド、八月、ロサンゼルス、九月、カリホルニア州ミルバレー、シャスタ山、九月十一日、十二時間の「平和の祈り」、十月、カリホルニア州ペタルマ,十一月、ハワイ州カウアイ島、ロサンゼルス、などで集会が決まり、アメリカ国内で、十二回、それぞれの場所で祈りが捧げられた。参加者は回を追うごとに増え、十二名,二十四名、三十六名と、十二の倍数で増えていった。

 

 

 マンダラのスライドショー

香帆さんが描くマンダラは不思議なパワーがある。

 平成十九(二〇〇七)年十二月八日、私は講演のため沖縄に行った。その夜、沖縄本島南部の南城市知念にある沖縄内観研修所の広大な芝生の庭に設けられた特設会場で、香帆さんのマンダラ・スライドショーが開催された。私はそこで香帆さんのマンダラを見て、人々が感動する姿をまざまざと見た。

 沖縄内観研修所はどこまでも果てしなく続く太平洋の大海原が望める丘の上に建っていた。そこからは、「神々の島」と呼ばれている久高島が見晴らせる。そこに縦横三×五メートルもある巨大スクリーンが張られ、百二十名を超す観客が集まった。

 夜の帳が下り、巨大スクリーンにマンダラが映し出されると、「ウォーッ」というどよめきが上がった。中心から光が放射状に広がっていくさまが、虹色の繊細な点描で描かれている。カリフォルニア州北部にあるシャスタ山の守護聖人のセント・ジャーメインのエネルギーを表現したものである。

 続いて、「セルフ・ラブ」が投影された。香帆さんが穏やかな声で説明する。

「『セルフ・ラブ』とは自分自身を愛するということです。このマンダラを制作しているとき、あたかも幸福への聖なる鍵を手渡されているような気がしました。

 それは幸福とは自分自身のすべてを無条件で愛することから始まるということを示してくれていました。一瞬のきらめきのような創造さえ、愛から生まれていると直感しました。自分を愛するということは、自分の魂、感情、人格、性格すべてを受け入れ、愛するということだというのです。

 この絵は真ん中からクリスタルがスパイラル状に放射しておりますが、これは『すべてはここから始まる』というメッセージを表現しています」

 まるで宇宙創造の始まりを見るようで、観客の間から溜め息が漏れる。その頭上には満天の星が輝いている。きらめく星々にマンダラが重なって、マンダラの魅力が倍加されていた。

 そこに歌手のミネハハさんの即興のスキャットがBGMのように流れ、私たち人間が神さまからいただいている命がどれほど神聖なものであるのか、観客は魂の深いところで共鳴していたーー。

 そういう原初へのスピリチュアル・ジャーニーに誘ってくれるのが、香帆さんのマンダラだ。観客は大いに満足して野外特設会場を後にした。

 

 

 シャスタ山での祈り

 昭和四十七(一九七二)年、東京で生まれた香帆さんは父親の仕事の関係で、一歳のとき、ニューヨークに渡った。その後、八歳から十二歳まで日本で過ごし、父親の転勤にともなって、今度はサンフランシスコに渡った。

 四歳から始めたアイススケートはアイスダンスとして実を結び、世界選手権やヨーロッパ選手権大会に二年連続で出場するほどになった。その後、二十五歳で現役を引退した後、コーチをするかたわら大学で音楽を勉強していたが、自分の心が満たされてはいないことに気づかされた。

 そこで香帆さんはすべてを捨てて、カリフォルニア州北部に聳えているシャスタ山(四三一七メートル)に行くことにした。そこで祈りのときを持ちたいと思ったのだ。

 シャスタ山は富士山より五四一メートルも高く

、真夏でも雪を頂いており、古来ネイティブ・アメリカンが聖地としている山で、訪れる人は心から癒やされるのだ。

 それも理由の一つだったが、それ以上に、香帆さんが師として仰いできた故マスター・ドローレスがしばしばワークショップを開いていた懐かしい場所でもあったからだ。

 マスター・ドローレスのことは後に述べるとして、香帆さんはここで心底祈り、問うた。 私とは何物なのか。

 私がこの世に生まれてきた目的は何なのか。

 さらにもう一つ、自分の中にある恐怖感を克服するにはどうしたらいいか。

 悲嘆・・・、悲哀・・・、煩悶・・・、絶望・・・、そして恐怖・・・。

 気がつけば、苦しさのあまり泣いていた。どこに涙の袋があるのだろうと思われるほどに、後から後から涙がこぼれた。それほどに生きる意味を尋ね,自分の使命を問うたのだ。

 三週間半の時が過ぎ、香帆さんは山を下り、サンフランシスコに帰ってきた。

 まだ回答を得たわけではなかったが、もう一度人生に立ち向かう力は与えられていた。 ところが家に帰ると、香帆さんを待ち受けていたのは、「抱擁の聖者」と呼ばれるアンマ(マータ・アムリタナンダマイ)の集会の知らせだった。香帆さんはアンマに抱擁されて心が解けた。そこにはかって香帆さんがマスター・ドローレスといっしょにいたときの平安があり、言葉では言い表せない満たされた思いがあった。シャスタ山での祈りが聞き届けられたた思った。

 同じ週、偉大な導師として尊敬されているアメリカ人女性ガンガジーが自宅へ招待してくれた。ガンガジーはただ泣くばかりの香帆さんの肩に手を回し、しっかり抱きしめてくれた。香帆さんが泣きながら、

「ごめんなさい」

と謝ると、「いいのよ」とささやいた。香帆さんが、

「私はあなたを存じ上げています」

と言うと、

「じゃあ、あなたは自分をしっているのね」

と答えた。そのとき香帆さんは何とも言えない至福感に満たされ、すべてのものとの一体感を感じた。その感触は、冒頭に引用した天風の表現そのものだった。

「人の生命は常に見えざる宇宙霊の力に包まれている。

 したがって、宇宙霊のもつ万能の力もまた、我が生命の中に当然存在しているのである。 ゆえに、いかなる場合にも、またいかなることにも、怖れることなく、また失望する必要はない。

 否、この真理と事実とを絶対に信じ、恒に高潔なる理想を心に抱くことに努めよう」

 

 

 愛を表現するために生まれた

 平成十八(二〇〇六)年四月、自分と向き合う二度目の機会が訪れた。        三十年間のスケーター生活に別れを告げ、五年続いた恋人との関係が破局を迎え、生きる気力を失った。自分が誰なのかさえわからなくなった。

 そんなとき、マンダラ・アーティストの秋山峰男さんと出会った。秋山さんは香帆さんの魂のエネルギーを感じ取って、パステル画を描いてくれた。すると手が勝手に動き出して、そこにあるペンを取って点描を描き始めた。

 秋山さんはそれをうまく誘導し、香帆さんの初めてのマンダラが生まれたのだ。

 悲しみはそれを味わった者にしかわからない。マンダラは香帆さんが悲しみの極みで捧げた祈りへの答えであり、無限の愛の表現だったから、見る人は深い共感を覚えた。

 それに香帆さんにとって驚きだったのは、マンダラはどんな悲しみの中で描かれていても、すべて美しく光り輝き、慈愛に満ち溢れていた。それは、かって両親がスピルチュアル・マスターとして仰いでいて、香帆さん自身も十二歳の時から師として仰いでいた故マスター・ドローレスの「ハート教え」そのものだった。

 マスター・ドローレスとは二十世紀後半、道を求める多くのアメリカ人に深い感化を与えた人で、シャスタ山でしばしば修養会を開き、ハート瞑想法を指導していた。

 マスター・ドローレスの目は澄んで輝いており、愛に溢れ、ただ側にいるだけでぽかぽか温かくなった。すると心が落ち着き、「すべてがありのままで良いのだ」と安心する。

 マスター・ドローレスは宇宙の本質である愛について、こう説いた。

「ハートの中に深く入っていくと、あなたがたは神さまが与えてくださった光そのもの、愛そのものであり、神さまの輝きを放射していると気づきます。神さまはあなたがたの中におられ、あなたがたは神さまのエッセンスなのです」

 香帆さんはハートにこめられた祈りをそのままマンダラとして表現した。すると友人たちが、私のマンダラも描いて欲しいと所望するようになった。そこでその人の魂を心で感じ取り、その人の幸せを祈りながら描き上げて渡すと、その人はそこに自分の霊光を見て感激し、それがまた口コミで広がっていった。

 描き始めて二、三ヶ月後には、

「私は愛を表現するために生まれてきたのだ! 私の人生のすべては人々に愛の波動を送るための準備だった」

 と確信するようになった。こうして瞬く間にフアンが広がっていき、アメリカ西海岸、カナダのバンクーバー、東京、大阪、京都、那覇などでイベントを開くようになり、マンダラを描くことが生活の中心になっていった。

 香帆さんは自分の創作意欲の源泉についてこう語る。

「私の感覚から言うと、神さまとは向こうにあるものではなく、私の内にあり、外にもあり、全てであり、愛であるものです。私は愛そのものに突き動かされて、マンダラを描いているように感じます。

 大切なのは意識がどこにあるかです。ハートに意識を持っていくと、神さまやすべてが自分と一つだという感覚になります。愛は一つ、そしてその愛によってすべてが一つにつながっているのです」

 香帆さんは依頼者個人のソウルマンダラも描いているが、そこには依頼者が持つ最大の可能性や、本来の自分に気づきますようにという願いが込められている。

「マンダラは人々の固有な光を描いたものです。私は人々がこのマンダラを通して、光り輝いている自分を思い出し、心から幸せを感じられるお手伝いをしたいのです」

 いつも控え目で、無口な香帆さんは、そっと願いを語り,微笑んだ。その微笑みは天使のそれのようにさわやかだった。

 

 

神さまは魂の中にいる

 私は香帆さんのマンダラを見るたびに、天風が語っていたことを思い出す。

「自分というものは、ひとりでいるのではない。常に宇宙霊というものに包まれていて、しかも宇宙霊は全知全能の力を持っている。それと結び付いている生命を自分が持っているのである。

 つまり自己というものを無限大に考えてよい。霊智によって作られ、宇宙の中に最も優れたものとして、自分は造られたものだという事実を、断固として信念しなければいけないのである」(『運命を拓く』中村天風著)

 香帆さんもまたこの境地をつかんでいて、それをマンダラとして表現していたのだ。

 神さまは私たちの魂の中に内在していることを忘れてしまうと、卑しい人間になり下がってしまう。だからいかなる場合も、またいかなることにも、怖れることなく、失望することなく、敢然と立ち向かっていきたい。この真理を絶対に信じ、つねに高潔な理想を心に抱くよう努めたいものである。