穂先できらめく露は帝網珠のようです

沈黙の響き (その40)

「沈黙の響き(その40)」

 

人間の本質は光だ

 

 私の人生は安岡正篤(まさひろ)という思想家に出合ったことから始まったと言えます。当時、青年たちを自虐思想が苦しめていましたが、ご多聞にもれず、私も自分のアイデンティティを求めて四苦八苦していました。

 自分は何者なのか――模索している私に、安岡先生は人間の本質を次のように説かれました。後年、プレジデント社から出版された『運命を開く』から引用します。

人間というものは、あるまったきものでなければならない。人間の生命というものは、無限にして永遠なるものです。その偉大な生命が何らかの機縁によって、たまたま一定の存在になり、一つの形態を取るのです。そこで我々が存在するということは、すでに無限の限定である、無限の有限化であるということを知る必要がある。この有限化を常に無限と一致させるということが真理であり、道理であり、道徳であります」

 安岡先生は「無限にして永遠なる存在である人間は何らかの機縁によって、有限化され、一定の存在になっている。人間は有限化された存在だが、これを本来の姿である無限と一致させようと粉骨砕身努力するところに人間の役割があり、人生の妙味がある」と言い、「本来、人間は崇高な存在なのだ」と説いておられます。

人間は「無限なる存在」が有限化された存在なので、形としては起きて半畳、寝て一畳のちっぽけな存在となりましたが、賦与されている内容たるや無限大だというのです。

安岡先生のこの人間観は昭和17年(1942)に、金雞(きんけい)学院、および日本農士学校のテキストとして出版された『東洋倫理概論』(玄黄社)にすでに書き表されており、以来重低音のようにどの書物にもこの思想が響いています。

この人間観、世界観が安岡先生の真骨頂であり、実業家やサラリーマン、それに学生など多くの人々が師と仰いだゆえんです。私はこの考え方にとても啓発され、奮い立ちました。日々瞑想し、その人間観、世界観をくり返し自分に説いて、自分の芯に徹底してしみ込ませました。

 

≪帝網珠の珠が光り、連鎖して広がってゆく≫

ところでこの人間観、世界観は、法華経の「帝網珠(たいもうじゅ)」という比喩を参考にするとよくわかります。法華経は大乗仏教の最も重要な経典の一つで、宇宙の本質を直感で捉えて表現し、文学的な表現で永遠の生命としての仏陀を説いています。

 その直感による把握では、宇宙には帝網珠と呼ばれる大きな網が張り巡らされており、その網の結び目の一つひとつにきれいな(たま)がついているといいます。一つの珠が光ると、その光は次の珠に映り、さらにその光は別の珠に映りして、幾重にも折り重なって光り、宇宙全体を覆っているのだそうです。

珠は自分のいのちでもあります。一つの珠、すなわち自分のいのちの輝きは、網を伝わって他の珠、すなわち他の人のいのちに映ってすべての珠(いのち)を輝かせ、その輝きは再び自分の珠(いのち)に還(かえ)ってくるというのです。

いのちは相互につながっており、いのちが分断されて個々ばらばらに存在するということはありません。

安岡先生はまず自分の持ち場から「一隅を照らす」生き方をしようと強調されました。宇宙全体を覆う巨大な帝網珠は、まず自分の光を隣に反射させ、さらにその隣、またその隣と広がっていき、宇宙全体に光が及びますが、すべての始まりはまず自分からと考えます。これはまさに、「自分の持ち場で一隅を照らす」という生き方に通じています。

 

≪阿蘇山での断食修行の日々≫

私は学生時代、冬の阿蘇・中岳に登り、冬期は閉鎖されている山小屋で一週間の断食をして瞑想しました。時折り山小屋の外に出ると、雲海が切れて雲間のはるか下の方に人間界が見えました。4日、5日と断食を続けていると、肉体が軽くなって透明になり、さらに高く引き上げられて、天上人になった思いがしました。そうやって肉体や地上界への執着を断ち、永遠性を勝ち取ろうと修行し、私は多くの恩恵を授かりました。

現在私は「沈黙の響きに聴き入ると、私たち人間は天と相対するようになり、不動の視座を確立するようになる」と思っていますが、その考えはこのとき培われたものです。(続く)

穂先できらめく露は帝網珠のようです

写真=穂先できらめく露は帝網珠のようです