道は続いている

沈黙の響き (その65)

「沈黙の響き(その65)」

日本人に戦争の罪悪感を植え付けた米国

 

 

前回の投稿で私は、日本の占領政策について、アメリカが極秘裡で日本弱体化計画(「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」=戦争の罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)を進めていたと述べました。すると、それをもっと知りたいという要望があったので、今回はそのことについて述べます。

 

≪分断と統治は常套手段≫

 昭和2012月、占領軍は占領軍という特権を使って、ほとんどあらゆる日本の日刊紙に、「真実の太平洋戦争はこうだった!」と称して、連合国総司令部民間情報局の署名入りの記事『太平洋戦争史』を強制的に連載し始めました。

『太平洋戦争史』は当然のこととして、戦地における日本軍の残虐行為を強調し、日本の大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、一切は日本の軍部が悪いのであって、米国は少しも悪くなく、米国には何ら責任がないと主張しました。

 

 さらにラジオでも自分たちが書いた『太平洋戦争史』を昭和20年(194512月9日から翌年の2月10日まで、10週間連続で流しました。かてて加えて『真相はこうだ!』というラジオ番組で、「日本は軍部に騙されて犠牲になったのだ!」と41週連続で流しました。これに引っかかった日本人は多数あり、以後、私たちは軍部に騙されていたんだ、軍部憎し! という感情が高まっていきました。見事に日本分断化工作が功を挙げたのです。

 

 実は欧米が植民地支配をするときの常套手段は、相手の国民を2つに分断し、人民を抑圧してきたこれまでの支配層に代わって、われわれが新しい国家を支配するというものでした。インドにおけるイギリスも、ベトナムにおけるフランスも、インドネシアにおけるオランダも、フィリピンにおけるアメリカもみな植民地の分断化をやりました。

 

「分断と統治」こそが植民地支配の鉄則でした。だから日本の場合も分断と統治の手法を用いて、軍部と騙されたあわれな無辜(むこ)の民の図式を当てはめて分断を図りました。さらに軍部の内部も、猪突猛進で自信過剰な指導層と、何も知らされていなかった哀れな第一線部隊というふうに分断しました。

 

 その後も、誌や書籍、ラジオ、学校教育で執拗に、しくり返し宣伝しました。学校教育では修身や歴史の授業を廃止し、占領軍が提供した『太平洋戦争史』を教材として使わせ、日本悪玉論を植えつけました。6年8か月に及んだ占領政策で、日本を骨抜きにし、永久に隷属化することに目途がつきました。

 

そんなこともあってか、私の母はいつも悔やんでいました。

「戦後、あまりにも価値観が変わってしまい、何を信じていいかわからなくなった。それに食べていくのに必死だった……」

 社会は急速に左傾化し、神仏も伝統も否定され、クラゲが海をただ漂っているだけのような、リンとしたものがない社会に転げ落ちていきました。

 

 占領下の日本のことは、江藤淳の渾身の力作『閉ざされた言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋。1989年刊)に詳しく書かれています。江藤は全共闘運動を「革命ゴッコ」、三島由紀夫も「軍隊ゴッコ」と批判し、プリンストン大学で学びつつ米国の視点をしっかり分析し、米国からの精神的独立を願う保守派の論客として一世を風靡しました。

『閉ざされた言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』は一見に値する書物です。ぜひご覧になってください。

 

≪千載に禍根を残した碑文≫

  米国は戦争が終わったあと、日本が再び反抗的な国家として立ったらやっかいなので、その芽は占領時代にしっかり潰しておかなければならないので、洗脳工作を徹底しました。その意図のもとについやされた占領時代の6年8か月は、日本人に自虐思想を植えつけるのに成功し、確たる成果を得たのでした。

 

「沈黙の響き」(その64)で採り上げた広島原爆慰霊碑の碑文に「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と書かせることに成功したのもその一つでした。あの文章を書いた雑賀忠義広島大教授は「世界市民」などという理想論を盾に、碑文反対論者に強硬に反論しました。

 

「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰り返さないと誓うことは、全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びです。『原爆投下は広島市民の過ちではない』というのは世界市民に通じない言葉です。そんなせせこましい立場に立つと、過ちをくり返さないことは不可能になり、霊前でものを言う資格はありません」

 雑賀教授は進歩的文化人かもしれませんが、米国に気づかって、千載に禍根を残したといえます。

 

 戦後まもない昭和27年(195211月、広島市で行われた世界連邦アジア会議に出席していたインドのR・B・パール博士(極東軍事裁判の判事の一人)は原爆慰霊碑を参拝し、あの碑文を見て、憤激した表情で語りました。

 

「ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊です。原爆を落としたのが日本人でないことは明瞭です。(なのになぜ日本人が詫びる必要があるんですか?) 落とした者の手はまだ清められてはいません」

 

 それに対して米国大統領は、「われわれは詫びることはしない。悪かったのは米国ではなく、日本だ」と突き放しています。

 

 国際政治は力と力のぶつかり合いで、弱者は強者の餌食になります。われわれは力がなかったために負けました。そして占領政策によって思うがままのことをされ、日本の自立を阻まれました。しかしもう戦後76年になります。そろそろ自虐思想から脱却し、自主独立の国になろうではありませんか。(続く)

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