水野源三の詩集

沈黙の響き (その93)

「沈黙の響き(その93)」

瞬(まばた)きの詩人・水野源三さん

 

 

◇「わが神よ、どうして私をお見捨てになったのですか!」

パン屋を営んでいる源三さんの家に、パンを買いにやってきた牧師さんが縁となって、教会に行くようになり、聖書を読むようになりました。そしてイエスが歩まれた道を知るようになると、それまでと違った風景が見えるようになりました。

それまでは自分ほどつらい人生を歩まされている者はないと苦しんでいましたが、その苦しみの向こうにイエスがおられたのです。そのイエスは否定され、ののしられ、裏切られ、最後には十字架に張り付けにされて殺されたのです。

 

それでもイエスの眼差しは澄んでいました。誰一人疑ってはいませんでした。そして従容と十字架につかれたのです。エルサレムのゴルゴダの丘、絶命の寸前、イエスは天父に向かって叫びました。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ!

(わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか!)

 イエスは内側から突き上げてくる不信の念と最後の最後まで闘い、しかしすべてを天意に預けて死んでいかれました。

 

源三さんにとってイエスはもはや人ごとでは無くなりました。まさか自分がイエスを拒否し……十字架に追いやったのでは……。重たく受け止めたのです。

苦悩の末に、「私がいる」という詩を書きました。

 

ナザレのイエスを

十字架にかけよと

要求した人

許可した人

執行した人

それらの人の中に

私がいる

 

源三さんはこの詩を涙なしには書けませんでした。

一字一字、文字を選び、泣いてお詫びしました。

私があなたを否定した……罪びとの頭でした。

私のために……敵の手に渡され……

十字架にはりつけにされたんです……。

申し訳ありません……どうぞ赦してください……。

 

◇もしも苦しまなかったら……

そして「苦しまなかったら」という詩が生まれました。源三さんはそれまで苦しんできたことに意味があったんだと気づいたのです。もっと言えば、苦しみによって導かれていたと気づいたのです。

 

もしも私が苦しまなかったら

神さまの愛を知らなかった

多くの人が苦しまなかったら

神さまの愛は伝えられなかった

もしも主イエスが苦しまなかったら

神さまの愛は現れなかった

 

源三さんは信仰を持つに至りました。それからの源三さんはすっかり変わりました。いじいじと悩んで暗かった源三さんが、霧が晴れたように明るくなり、快活になりました。彼の詩はますます喜びがあふれるようになり、キリスト教雑誌の『信徒の友』や『百万人の福音』などに掲載されるようになりました。

 

源三さんの妹・林久子さんが『悲しみよ、ありがとう』(日本キリスト教団出版局)という本を書き、「私の心の目を開いてくれたのは兄でした」と述懐しています。NPO法人支援センターあんしんの久保田果奈子さんはそれまでうとましく思っていた障がい者の妹が、

「私に幸せをくれたのは、妹のアッコだった!」

と気づいたのと同じです。障がいを抱えた兄や姉や妹が実は導きの星だったのです。

痛みや哀しみは私たちの心の目を開いてくれます。妹さんが人生の深みを見せてくれていたのです。

 

源三さんの詩は第1詩集『わが恵汝に足れり』ほか4冊の詩集に収録され、死後も何冊も詩集が編まれました。そのうち20篇ほどが讃美歌となり、それらを収録したCDも発売されています。源三さんは昭和59年(1984)、この世の務めを終え、「感謝以外のなにものもありません」と言い残して、47歳で天に召されていきました。

水野源三の詩集

水野源三の詩碑

いのちをありがとう

写真=水野源三さんの詩集や詩碑