イエスと復活

沈黙の響き (その140)

「沈黙の響き その140

とうとう洗礼を受けた綾子さん

                                                      神渡良平

 

 

前川さんは自分の足を石で打ち叩いてお詫びした!

 

ある日、一緒に散歩に行った丘の上で、堀田綾子さんと話をしていた前川さんは真っ正面からただしました。

「綾ちゃんが言うことはよくわかるつもりだ。しかしだからと言って、綾ちゃんの今の生き方がいいとは思えない。今の綾ちゃんの生き方はあまりに惨め過ぎる。自分をもっと大切にする生き方を見いださなきゃ……」

 

 前川さんはそこまで言って声が途切れました。彼は泣いていたのです。大粒の涙がハラハラと彼の目からこぼれました。堀田さんはそれを皮肉な目で眺めながら、わざとあばずれのように煙草に火をつけました。それが前川さんを刺激しました。

「綾ちゃん! だめだ。あなたはそのままではまた死んでしまう!」

 

 彼は叫ぶように言い、深いため息が彼の口から洩れました。そして何を思ったのか、傍らにあった石を拾い上げると、突然自分の足を続けざまにゴツンゴツンと打ったのです。さすがに驚いた堀田さんが止めようとすると、前川さんは堀田さんの手をしっかりと握りしめて言いました。

 

「綾ちゃん、ぼくは今まで、綾ちゃんが元気で生き続けてくれるようにと、どんなに激しく祈ってきたかわからない。綾ちゃんが生きるためなら、ぼくの命も要らないと思ったほどだ。けれども信仰が薄いぼくには、あなたを救う力がないことを思い知らされた。だから不甲斐ない自分を罰するために、こうして自分を打ちつけてやるのです」

 

 堀田さんは言葉もなく、呆然と彼を見つめました。そこまで言われて、石でわれとわが身を打ちつけた前川さんの自分への愛だけは、信じなければならないと思いました。もし信ずることができなければ、それは綾子という人間の本当の終わりのような気がしました。

 

 いつの間にか堀田さんは泣いていました。久しぶりに流す人間らしい涙でした。

(だまされたと思って、わたしはこの人の生きる方向についていってみよう)

 堀田さんはそのとき前川さんの愛が、全身を刺し貫くのを感じました。そしてその愛は単なる男と女の愛ではないと知りました。前川さんが求めているのは、堀田さんが強く生きることであって、堀田さんが前川さんの所有物となることではありませんでした。

 

 実は前川さんはそのころ、肺結核を患っている自分の命がもう長くはないことを予感していました。それだけに綾子さんのことをほっておけなかったのです。彼は真剣でした。

自分を責めて、自分の身を石打つ前川さんの姿の背後に、堀田さんはかつて知らなかった光を見たような気がしました。

 

彼の背後にある不思議な光は何だろう。

それがキリスト教なのではないかと思いながら、堀田さんを女としてではなく、1人の人間として愛してくれた前川さんが信ずるキリストを、自分なりに尋ね求めたいと思いました。ようやく堀田さんの硬い殻が破けたのです。

 

前川さんの愛に応えて

 

 綾子さんはその後、脊椎カリエスを併発しました。脊椎カリエスとは結核菌が脊椎(背骨)に感染して背骨が破壊されてせむしのように変形し、しびれや痛みに襲われる病気です。だから患者はギプスベッドに固定され、絶対安静にしなければなりません。

 

綾子さんは前川さんのすすめに従って、洗礼を受けることを決意しました。脊椎カリエスの治療のため、ギプスベッドに移る前の日、寝たままで、昭和27年(1952)、札幌北一条教会の小野村林蔵牧師によって洗礼を受けました。

 

立ち会ったのは、前川さんが綾子さんに紹介してくれた、札幌駅前に店を構える有名な「洋生(ようなま)の店ニシムラ」の西村久蔵社長でした。西村社長は洗礼式でこう祈りました。

「……どうぞこの堀田綾子姉妹をこの病床において、神のご用にお用いください。また御旨(みむね)にかなわば、1日も早く病床から解き放たれて、神のご用に仕える器としてお用いください……」

 それは不思議な祈りでした。

 

 堀田さんは牧師に洗礼の水を額に注いでもらいながら、考えました。

(――病床においても神のご用に用いられるのだと思うと、俄然力が湧くわ。癒やされるにせよ、癒されないにせよ、病床が働き場所であるとすればわたしの生涯は充実したものになると、身が奮えました。キリスト者とはキリストの愛を伝える使命を持つ者であると、固く信じることができました)

 

 まさかその綾子さんがそれからわずか12年後、朝日新聞の懸賞小説に応募した『氷点』が1位となり、処女作が超ベストセラーとなるとは思いもしませんでした。

 

キリスト教会には行き始めたものの……

 

前川さんの愛にほだされて、堀田綾子さんはキリスト教会に足を運ぶようになったものの、懐疑的な姿勢が解消されたわけではありませんでした。『道ありき』がそのころの様子を伝えています。

 

綾子さんは教会に通い始めましたが、クリスチャンそのものに抱いていた、いくぶん侮蔑的な感情を捨てきれたわけではありませんでした。なぜなら、信じるということは、その頃の堀田さんには“お人好しの行為”のように思われたからです。

 

(あの戦争中に、わたしたち日本人は天皇を神と信じ、神の治めるこの国は不敗だと信じて戦った……。でも、結果はどうだった? 全部、裏切られてしまった。わたしは信じることの恐ろしさを身にしみて感じたわ)

 戦争が終わって、キリスト教が盛んになり、猫もしゃくしも教会に行くようになりました。戦争中は、教会に行く信者はまばらだったのに、敗戦になってキリスト教会に人が溢れるようになりました。堀田さんにはそれが軽薄に感じられてなりませんでした。

 

(戦争が終わってどれほどもたたないというのに、そんなに簡単に再び何かを信ずることができるものだろうか)

 世相がどうにも無節操に思われてならなかったのです。そう思って教会に行くので、堀田さんはクリスチャンの祈りにも疑いを持ちました。

 

 綾子さんが予想したとおり、結局キリスト教ははやり病みたいなもので、目新しいものに飛びつくように、教会に行く人は増えたものの、いつしか潮が引くように元の木阿弥になってしまい、閑古鳥が鳴くようになってしまいました。

イエスと復活

写真=十字架