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新刊『許されて生きる 西田天香と一燈園の同人の下坐に生きた軌跡』とは

『許されて生きる』表紙
『許されて生きる』表紙

私の師のことを書きました。大学紛争の最中、3派全学連が荒れ狂い、キャンパスが狂乱の巷になったとき、天香さんの『懺悔の生活』を読み、ショックを受けました。そこには、私が悪かったとお詫びし、「許されるなら生きる」と、人々の魂に手を合わせて祈る天香さんの姿がありました。 

 天香さんは以来ずっと私の生き方をリードしてくださいました。私は自分が死ぬまでには、天香さんのことを書こうと思い続けてきました。それが天香さんと、これまで生かしてくださった社会への恩返しだと思ってきました。40数年に及ぶ思いが実を結んだのが『許されて生きる 西田天香と一燈園の同人の下坐に生きた軌跡』です。私の皆様への感謝の恩返しです。どうぞ、お読みください。

ウラジオストクのM.S.さんから届いたメール(2018.12.19)

神渡先生へ

 暖冬とはいえ、やはり寒いウラジオストクよりM.S.でございます。
 先日、日本より届いた「許されて生きる」を拝読させていただきました。
仕事と個人的関心から満州関連にかかわることも増えており、またウラジオストクに住んでいると日本国内とは違って深く、多方面に感じることがあり、感想が短くなりませんでした。
 ロシア語に翻訳して仲間に見せてあげたいくらい素晴らしい本で、日本の書籍が手に入らないウラジオストクで繰り返し読まさせていただきます。
 とりあえず1回目拝読した感想を添付させていただきます。
 先生が死ぬまでに書きたいとおっしゃられていたように、そんな思いが詰まった本でした。ありがとうございます!
 
 
(以下、感想)

許されて生きるを拝読しまして

小職は大学時代を妙心寺近くの京都で過ごし、教会に通わせて頂いたりもし、また20代は韓国人の上司のもとで4-5年、その後は上海、今ウラジオストクで4年過ごし、仕事として沿海州および満州エリアの日本人居留民史にかかわっているので、深く感じるところが多々ございました。

まず驚いたのが5ページにあった坂村真民さんの「鈍い刀が光る」の詩です。この詩は神渡先生の「自分の花を咲かせよう」から1つだけピックアップして哲学や文化を学習するロシア人グループにロシア語翻訳して披露しとても感動してもらった詩であったからです。このグループは1950年くらいから世界中に展開しているので少なくともモスクワの会員は知っています。小職がロシア語にし読んだ(モスクワの先生の誕生日プレゼント)唯一の詩でしたので、個人的にびっくりしました。

また50ページあたりから天香さんや倉田百三さんにトルストイ「我宗教」が大きく影響を与えたというのも初めて知り、全編において残虐行為を働いたとされるロシア人とロシアですが、多分に日本や日本人と近い価値観を有する部分もあることを再認識しました(残虐行為に従事したロシア人はロシア人のごく一部でその質の悪い犯罪者みたいなのが極東、サハリンに向けられたというのが実態のようです。今もその残党の雰囲気は軍人ではなく警察に感じます)早速哲学の先生に、トルストイが天香さん、武者小路実篤などを感化したことを聞いてみると、トルストイの人生自体が道の探求であったので、そのような探求者には影響を与えたかもしれないとのことでした。ただ日本の宗教者や文学者が感化を受けたのはロシア人の先生も知らないようでした。1930年のトルスタヤ女史と天香さんの出会い、京都での講演もロシア人に伝えたいと思いました。

1914年の第一次大戦後の国際連盟が上からの平和組織で、それとは違う視点で利他の心で個人の生活から争いをなくし下から平和を積み上げていくという天香さんの考えと実践は現代にも通じると感じました。

鐘紡の社員食堂の箇所を通じ感じたのは、日本の誇れるところは食べ物に感謝し、誰でも普通に掃除できるということでした。ロシアの小学校では、給食の時間でも10分くらいで掻っ込むような感じで、生産者や自然、生き物に言及することはありません。一緒に行った元小学校校長もおっしゃっていましたが、日本の学校では

給食を通じて農業や命を教えるらしいのです。また掃除は学校から会社まで、自宅以外は掃除専門員がそれを行います。子供たちも基本的に掃除をしません。小職は全く人に言えるような掃除好きでもありませんが、一般の日本人として掃除させられ育っているので、今思うとこれはとてもいい教育だと思いました。この2点は少なくともロシアが学ぶといい点ですし、ロシアの小学校先生もそれは認めています。

174ページに鐘紡の女工は文明病にかかっていない田舎娘という記載がありましたが、今でいうと北朝鮮の一般庶民からはこの部分があるような感じがし、日本人が学べる点があると個人的に思っています。

184ページの「そんなに丁寧に扱ってもらえたら、ごみ箱もうれしいでしょうね」というところですが、物にも魂が宿るような話はルンペンでなくても、大量消費の現代こそ重要な考えだなと思いました。小職も自分の生活を顧みた次第です。

217ページのカリフォルニアでの講演で「日本人にもいい人もあれば、よからぬ人もあります。・・・罪を分かち合うことです」の部分からは、加害者となった日本と被害者の旧満州、朝鮮半島、加害者となったロシアと被害者の日本の間のわだかまりを解いていくうえでも必要だと改めて感じました。100年前に天香さんがおっしゃったことですが、今こそ必要かなと思います。国家は無責任に利害を主張しあいますが、それに一般人はまどわされることなく、天香さんのようにどの国の人に対しても懺悔して下座に生きるような対応をし合えば、いい種が広がっていく気がします。日本国も戦後、日本に命、力をささげた国民を護ることはなかったので、やはり国家間のことには惑わされないようにしたいとおもいます。

294ページにある「人間は金儲けのために働かなくても、他のもために捧げて奉仕してゆけば、求めなくても必要なものは与えられる。そしてそこから世の中のあらゆる問題が解消し争いのないは平和な生活が得られる」「自分の至らないところを徹底的にお詫びし、すべてを捨てきる無所有の生活」これは現在の小職ではまったく実践できておりませんが、1つの指針として非常に感銘をうけました。

244ページの「月の光が水面で反射し・・・」の光、夜空、月、地平線の部分が、光(自分を超えた大自然、宇宙)のような存在を感じられる記述で、心が洗われました。宇宙のような視点から、人間の生活も常に眺めることができればいいだろうなと思い、そういう視点をもって小職も生きていければと思いました。

406ページの方角を示す北極星の部分は、本当におっしゃる通りだとおもいました。ロシア人が日本を尊敬するのも、他のアジア人が尊敬するのも、欧米人が尊敬するのも、日本が高貴だからだと思います。パラダイムシフトが起きている今こそ、目には見えない、でも外国が評価するこのような日本、日本人の部分を日本人として認識し、伝え、各人の生活で意識していければなぁと思います。

PS:

今回のご著書を読むのに補足的に役立った知識は、満州の事情と、満人、シナ人の使い分けの事情でした。

若い人の中には、ちょっとこの部分がわかりにくく、読みにくくなってしまうかもと思われました。

また「懺悔」の意味やなぜ「無所有」かなどは、一燈園さんのHPでわかりやすく説明されてあり、読むための助けになりました。
https://www.ittoen.or.jp


2019年1月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

1/16(水)
15:00~16:30

許されて生きる

成田商工会議所
成田市花崎町736-62

千葉県経営者協会

千葉県経営者協会
℡043-246-1158

1/19(土)
14:00~16:00

安岡正篤珠玉の言葉

佐倉市臼井公民館
佐倉市王子台1-6
℡043-461-6221

佐倉素行会

神渡
℡043-460-1833


許されて生きる 西田天香と一燈園の同人の下坐に生きた軌跡

大正時代の3大ベストセラーである『懺悔の生活』を書いた西田天香さんは、全くの下坐の人でした。140万部の大ベストセラーとなった本書のブームはどこ吹く風、天香さんはいつも家々の下様の仕事や便所掃除に精出し、慎ましやかな生活をされていました。
 でも、その生き方に共鳴した青年たちが天香さんを訪ね、一燈園を形成しました。その働きは満州へ、台湾へ、ハワイへと広がって行き、ついにはバチカンまで影響を及ぼすようになりました。本書はその足跡をたどった証です。
☆サイン本のお申込みは、ページ上部の連絡先へお願いします。 (ご住所、お電話番号、冊数)


『許されて生きる』のプロローグの紹介

11月20日、いよいよ『許されて生きる 西田天香と一燈園の同人の下坐に生きた軌跡』が廣済堂出版から発売されます。私は学生時代、もっとも影響を受けた一燈園の西田天香さんのことを書いてから死にたいとずっと願っていました。年齢が70歳に達し、ようやくものが見え始めたので、今こそ天香さんのことを書くべきだと思って筆を執り、数年がかりで書き上げました。
 幸いなことに「掃除の神さま」と言われる鍵山秀三郎さんの推薦文をいただき、感謝しています。「プロローグ」をご笑覧ください。
 

※これは『許されて生きる 天香さんと一燈園の同人たちが下坐に生きた軌跡』の導入部分です。十一月二十日、廣済堂出版から発売されます。

プロローグ

 

 

 青春の模索

「一回しかないこの人生を、私はどう生きたらいいんだ……」

 大学は医学部に通学していたものの、人生に立ち向かう姿勢がまだできていませんでした。1昭和四十年代(一九六五)、キャンパスは政治の嵐が吹き荒れて、静かな思索にふける雰囲気はありませんでした。赤や黒のヘルメットを被り、手拭いで顔を隠した学生運動の闘士たちが、ハンドマイクのボリュームを最大にして、政府を非難し、がなり立てていました。

 緑の並木が美しいはずのキャンパスには、がさつな金釘文字で乱暴に書きなぐった立て看板が中核や革マル、反帝学評など、各セクトごとに林立し、学問の都の雰囲気をいっそう殺伐(さつばつ)なものにしていました。大衆団交があると、それら学生運動の闘士たちが学長や学部長を罵倒し、つるし上げ、総括を迫って阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)(ちまた)と化していました。

 学内は革命の先進国(?)である中国をまねて、文化大化革命時の「造反(ぞうはん)(ゆう)()」(()(ほん)には道理がある)という理屈が声高に叫ばれ、怒号が渦巻き、狂気が支配していました。

 そんなとき、私は岡田武彦九州大学教授(中国哲学)の薦めで、大正十年(一九二一)に刊行され、大正時代を代表する大ベストセラーになった西田天香さんの『(ざん)()の生活』(春秋社)を読みました。そこには「自分が悪かった」と懺悔し、相手の魂を拝み、譲り合う謙虚な世界が広がっていました。それを読んだとき、これこそが人間本来の睦まじい生き方だと共感しました。もうかれこれ五十二年前のことです。

 それ以来、私は天香さんの一連の書『一燈()(じん)』『幸福なる者』『(ほうき)の跡』『光明祈願』(共に春秋社)など読し、人生の指針とするようになりました。だからますます、政治闘争に明け暮れ、阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)(ちまた)と化した大学と波長が合わなくなり、大学を中退しました。学歴も国家資格も何もない人間が生きていくのは大変でしたが、それは自分で選んだ道でしたから、甘んじて受けました。

 

 気がついたら、周りはみんな〝地涌の菩薩〟だった!

 その後に訪れた試練は、三十八歳のとき脳梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれたことです。一命は取り留めたものの右半身が麻痺し、寝たきりになりました。加えて職を失い、無収入になり、経済的にも崖っ縁に立たされました。踏んだり蹴ったりで、これでもか、これでもかと責め立てられました。私は意気消沈し、悲観的になりました。

 そんなとき、孔子が弟子の(ぜん)(きゅう)を諭された話を『論語』で知りました。

冉求はあるとき政府から仕官の申し出を受けましたが断りました。理由は自信がないというのです。それを伝え聞いた孔子は冉求を諭しました。

「私は人間というものは宇宙の森羅万象を形成している〝天〟が地上に結晶化した存在だと思う。その人間にいろいろな経験を積ませて有能な人材に育てあげ、しかるべき仕事をさせようと導いておられるんだと思う」

 ところが冉求は話をさえぎりました。

「私など滅相もありません。取るに足りない存在です。買いかぶらないでください」

 でもそれは孔子には空しい謙遜としか聞こえませんでした。

「お前は自分で自分を見限って卑下しているが、お前の可能性はそんなものじゃない。お前が授かっている賜物は今後ますます磨かれ、大きな仕事を果たせるようになっていくのだ。

天はお前の良さも欠けたところも全部お見通しの上で導いておられるというのが、まだわからないのか。汝、限れり!」

「……」

 それは重大な指摘でした。お前は自分で自分を見下して卑下しているというのです。それは一見、謙遜しているように見えるけれども、その実、自分に与えていただいているものを信じていないということでもあります。孔子が冉求を(さと)された内容は、私の心にも響きました。というのは私も自分を見限っていたのです。

「もうおれの社会的人生は終わった。あとは車イスで家の中を動き回っているだけだ」

 体が麻痺している状態も私を磨こうとされる天の意図なのに、当の私は悲観してもうだめだと投げ出しかけており、逆境は天が私を磨いてくださる導きなのだとは気がつかずにいたのです。ようやく転機が訪れました。

「私の出発点はここなのだ。この導きを無駄にせず、一つひとつ踏み上がってゆこう」

 気持ちが切り替わったとき、リハビリも効果を上げるようになり、とうとう社会復帰に漕ぎつけました。社会復帰できたことはありがたかったけれども、それ以上にありがたかったのは、私の周りはみんな()(ゆう)の菩薩ばかりだということに気がついたことです。

『法華経』に、菩薩さまは天から光り輝く雲に乗ってしずしずと下りてこられるのではなく、泥の中から涌きだすように現れるのだと説かれているそうです。まさに泥の中から涌き出したような方々がいらっしゃることに気付きました。

それに「平成」の年号を推薦された安岡正篤(まさひろ)先生が常々おっしゃっています。

「有名ではあるけれども、その実あまり内容がない人もあるのも世の中です、。ところが社会的には無名ではあるものの、頭が下がる生き方をされている人がおられる。世の中の健全さはそういう人によって支えられています。お互いそういう人間になっていきたいものです」

 まさしくそうでした。私は自分が倒れて苦渋を味わわなければ、それに気付かずにいたのです。そしてそのことに天香さんは三十七歳のときに気付き、人々を拝む生活をされていました。

 お陰さまで私は社会復帰することができ、その経験を元にデビュー作『安岡正篤の世界』(同文舘出版)を書きました。幸いにもそれが好評を得て作家としての道が開け、執筆に明け暮れることになりました。

 

  内観によって取り戻した親子の絆!

もう一つ大きな出来事がありました。私は医学部を中退し、父母の願いに叶わなかったこともあって、親子の絆がおかしくなっていました。命の絆ともいうべき親子の関係がこじれたままでは、私の人生は、社会的には成功したとしても、空虚なものに過ぎないと感じていました。そんなとき、ある人から、

「命の中核部分を修復するには、内観するといいよ」

と勧められ、私は栃木県さくら市()(つれ)(がわ)町の「瞑想の森内観研修所」に柳田鶴声(かくせい)先生を訪ねました。内観とは、狭い一坪ほどの屏風の囲いの中で、生まれてからこれまでの父母や兄弟、妻子とのことをこと細かに振り返ります。特に次の三つの点、

一、やっていただいたこと

二、してお返ししたこと

三、迷惑をお掛けしたこと

を詳しく調べます。それを二時間ごとに訪ねてこられる先生に打ち明けます。何だそんな単純なことと思われますが、これが意外に深い気づきに至る方法なのです。

人間は意外に自分の観点でしかものを見ていません。思い込みが激しく、自分勝手です。ところが内観によって身調べをし、相手の事情を探るようになると、見落としていた意外な事実が見えるようになります。そしてコペルニクス的転換が起きるのです。

最初は意外なほど何も思い出せません。足がしびれた、腰が痛い、外の空気が吸いたいなどと気が散ってしまい、とても内観になりません。ところが二日経ち、三日経ってくると心のさざ波が消え、さまざまな出来事が浮かんでくるのです。こんなことがありました。

私が小学校二年生のときでした。父が酒に酔って帰ってきて母と喧嘩になりました。売り言葉に買い言葉、挙句の果ては父が母を殴り蹴るなどしました。母は泣きながら抗弁しました。

「そこまでおっしゃるなら、私はもうついていけません。実家に帰ります」

そう言ってタンスを開けて、自分の荷物をまとめはじめました。私は子ども心に、

「これはいかん。母ちゃんは本気だ。家を出て行く!」

と感じ、母の袖にしがみついて泣きじゃくりました。もう一方の袖には妹が抱き着き、かあちゃん、かあちゃんと泣きじゃくっています。一番下の弟はまだ赤ん坊でした。二人の子どもに抱きつかれ、泣かれたら、母はどうすることができません。泣きじゃくる私たちを抱きしめてこう言ったのです。

「母ちゃんはかわいいお前たちを捨てては家を出ていけない。母ちゃんはここに残る。お前たちといっしょだ。お前たちは母ちゃんの生命だ。生きる力だ。もう泣かんでいい」

 そう言いながら母が泣いています。その涙が私の顔に掛かります。涙でぐちゃぐちゃになってみんな泣きました。そんなシーンがよみがえってきて、母は私を自分の生命であり、生きる力だと思っていてくれたんだと思いました。それが私の背後にあった母の祈りを再発見させてくれたのです。それなのに私はそんなことはすっかり忘れて、

「私は頑張ってここまでやり遂げた。自分一人で道を(ひら)いてきた!」

 と錯覚していたのです。何と傍若無人で、破廉恥な男でしょうか。育てていただいたご恩を忘却の彼方に押しやっていたのです。

そのことに気付き、私は畳にひれ伏して泣いて詫びました。

「申し訳ありません。育てていただいたご恩を忘れて、自分ひとりで大きくなったように思っていました」

 それからの内観は塞がれていた溝が通ったように一気に進み、父母だけではなく、親戚や近所の人や小学校の先生にも愛され、励まされていた私だったことに気付きました。気がつけば私は人々の恩愛に包まれて、花園の中で大きくなっていたのです。

 一週間の内観が終わって外に出た私の目に、空の青さ、木々の緑、足元の花壇の色とりどりの草花の輝きが飛び込んできて、

「私はこんなに美しい総天然色の世界に住んでいたのか! モノクロの無感動な世界に住んでいるとばかり思っていた」

 自分に向けられていた父母の愛を再発見したことは、それほど大きなできごとだったのです。この内観によって、私の足はようやく大地に着きました。

 

 〝許されて生きる〟という天香さんの生き方

天香さんが長浜の八幡神社境内にある愛染明王堂で、ある朝赤ん坊の泣き声とともに得た「お光の無限の愛」について得たインスピレーション(啓示)に比べて、私が内観で得た父母の愛について得た覚醒は比すべくもないほどに小さなものですが、極めて似かよったものだったように思います。天香さんは、この宇宙は愛に満たされているのだ、宇宙の根本原理に目覚め、それにすべて委ねて生きようと、

「許されて生きる」

 というコペルニクス的転換を果たされました。深いところで満たされていたから、自ら先にお詫びすることができたのです。

 天香さんが赤ん坊の泣き声が契機となって気付かれたものは絶大なものがあったと思いました。その後、私は天香さんのまねことをして生きてきましたが、私の中にずっとあったのは、私の目から鱗を落としてくれた天香さんのことを、人生の最後に書いてから死にたいという願いでした。()()(きょく)(せつ)が多い人生でしたが、私は七十歳を迎えてようやく宇宙の真理や物事の道理が見えてきて、天香さんがその歩みを通して投げかけておられるものが何だったのか、いよいよもって明確になってきました。

そこで宿願だった天香さんの評伝を書こうと思い立ち、手掛けたのが本書です。私の人生はこの書を書くためにあったように思います。本書を心からの感謝をもって世に送り出します。

に思います。本書を心からの感謝をもって世に送り出します。


新刊『許されて生きる 西田天香と一燈園の同人が下坐に生きた軌跡』のご案内

新刊『許されて生きる 西田天香と一燈園の同人が下坐に生きた軌跡』が2018/11/23に発売されます。
詳細は以下になります。