拝啓
昨日の冷たい雨もあがり、今日は太陽が遠慮がちに顔を出しています。その光に照らされて、ふきのとうが春を知らせようと微笑んでいます。久しぶりに先生にペンをとり、さまざまなことが浮かんできます。
夫の旅立ちがきっかけで先生の本に出合い、自分の内なるものから気づきを得られ、前に進めたことがそもそもの始まりでした。
その後、兄の闘病の時、東大病院の矢作直樹先生の本に出合い、兄の旅立ちと死後の世界のことを受けとめることができました。更には神渡先生のおかげで矢作先生にお会いすることができ、感謝しつくせません。苦しい時に神渡先生とのご縁が深くなると、不思議な気がしています。
今回、久しぶりにペンを執ったのは、あらためて『下坐に生きる』を読みなおしてみたからです。本箱から『下坐に生きる』がサインを送っているような気がして、開いてみると、何と坂村真民先生が「序文」を寄せておられ、びっくりしました。
人生で起こるさまざまなできごとも、時と共に浄化され、人としての原点にひきもどしていただけるのだと納得しました。年を重ねると、以前はまだよくわかっていなかったことが見えてくるものですね。
目下『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』のゲラ校正が進行中のようで、五月十五日には出版されるとのこと、心待ちにしております。
『下坐に生きる』を読み進めていると一燈園の三上和志さんのことが書かれており、身につまされました。他の人が心の重みを解放するのに、自分も一助できるとは何とありがたいことでしょうか。
また、先生と杉山彦一天風会会長との対談「生命の本質を探る」では、人は窮地に追いこまれると、「和紙にしみ入る水の如く」、天風先生の哲学がより深く身に染み入ることがわかりました。トラブルがあっても、人間は軌道修正して、本来のあるべき姿へと引きもどしてもらえるんですね。
今あらためて『下坐に生きる』を手にし、読みなおしてまた感動させられたのは、今の私に新たな気づきが必要なのだと、目にみえない何かのはからいがなされていると、すなおに感じます。10月には今年も宮崎に講演に来られるとのこと、ぜひとも聴きにまいります。
季節の変わり目ですが、私も四季を味わいながら、穏やかに過ごしたいものと思っております。先生もご自愛されお過ごしください。
三月二十六日記 宮崎県 T・S