日別アーカイブ: 2022年5月9日

神磯の鳥居1

沈黙の響き (その100)

「沈黙の響き(その100)」

神々しさの極み神磯の鳥居

神渡良平

 

 安岡正篤先生は『新編 漢詩読本』(福村出版)に、生命が持つ不可思議な韻律を説いて、こう切り出されました。

「生命のある処、到る処、韻律がある。水のせせらぎにも、風のささやきにも、雲の行き来にも、日の輝きにも、人間の感激にも、やるせない苦悩の中にも、不思議な韻律があって、振動に富む言語文字をもって自らを表現しようとする」

 

 私たちそれぞれが持っている生命の韻律は、「直感の光によって」外の世界の韻律に呼応して、激しく鳴りだすと言われます。

「その勝れた表現は、これに接する人々の感情の共鳴を高め、直観の光を遠くし、思索を深め、世の中の打算や仕事の焦燥から人を救って、ほのかな慰めや、時にゆかしい憂愁にも誘う」

 

 大自然には私たちのインスピレーションを掻き立ててやまない場所が数々存在しています。茨城県の大洗(おおあらい)海岸にある神磯(かみいそ)の鳥居はそういう場所の一つです。

茨城県つくば市の宇宙航空研究開発機構(JAXA ジャクサ)に勤めている私の友人がフェイスブックに写真をアップして、神磯の鳥居に詣でてきたと書いていました。いつもは宇宙ロケットを飛ばして時代の最先端をゆく研究をしていますが、一方では太平洋の荒波が大洗海岸の岩礁に当たって白く砕け散るさまに神々しさを感じ、磯の岩の上に祀(まつ)られている神磯の鳥居に詣でたというのです。

 

時代の最先端のことに従事している人が、大海原を祀っている極めて原初的な神社に詣でているという落差の大きさに驚きましたが、FBにアップされている神々しいほどの写真を見て納得しました。原初的なものは超現代的なものをくるんでいるのです。

 

そこで先日私も茨城を訪ねました。太平洋の大海原に面して屹立する大洗山に(おおあらいやま)ある大洗磯前(おおあらい・いそさき)神社に大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱が祀られており、神磯の鳥居は岩礁に建てられた大洗磯前神社の一つでした。

社殿の造営の工を起こしたのは元禄三年(一六三〇)、水戸家の二代目徳川光圀(みつくに)で、完成したのは三代目綱條のとき、約四百年前のことでした。

 

大己貴命は別名を大国主命と言い、出雲神話の主人公須佐之男(すさのお)の六世、もしくは七世の孫に当たります。少彦名命は神産巣神(かみむすびのかみ)、もしくは高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の末裔で、小さな体ながら大国主命の義兄弟として国造りに励んだといわれます。彼は薬や温泉などの分野も担当し、医薬に関係する薬師如来の化身とも言われています。

 

出雲神話の立役者が関東の太平洋岸でも祀られているのは驚きです。ひょっとしたら出雲神話は出雲地方だけに閉じ込めておく話ではないのかもしれません。古事記、日本書紀の原典になったという『秀真伝』(ほつまつたえ)は建国神話を宮崎地方から解き放ち、富士山の麓を初めて、日本全国で展開されますが、出雲神話もそうなのかもしれません。少彦名命は人気が高い御伽(おとぎ)草子の一寸法師の原型だとも言われますが、それらのことが解明されてくると、神話はいっそうおもしろくなりそうです。

 

荒波に洗われている神磯の鳥居を浜から遥拝すると、私たちを“大本のもの”に引き合わせる何かがあり、神々しいものを感じて思わず手を合わせました。私たち日本人は縄文の昔から、極めて素朴に、果てしなく広がる大海原に自然と手を合わせて拝んできたんだと思います。

 

◇詩歌には私たちを蘇生させる力がある!

さて、神々しい大自然に触れると、そこから自ずから歌が発生します。詩歌は人の生命が持っている韻律が言語的に表現されたものだからです。安岡先生はこんな短歌を詠まれました。

うつせみの霧の命と思へこそ聖の道を探ねこそ行け

 

そして詩歌の道をこう解説しておられます。

「これは道徳の峻厳、信仰の崇高にも和して、人間の生活を浄化し、精神を救う美の一種で、人々はこれを詩という。詩は外部感覚の世界とは違った、一つの内部経験と秩序の世界を造り、利害打算や、機械的な思考、衝動的な感情などの有害な副作用から、人間の生命を和らげ、現実の涸渇を沽(うるお)すものである」

 

 安岡先生は、詩歌は人間の精神に有害な利害打算や機械的な思考、衝動的な感情などから私たちを守ってくれると言われます。俗世を超えた宇宙との語らいは私たちを慰めてくれ、現実の涸渇を潤してくれます。そこで得た活力が現実を超えていくバネになるのです。

 

「人間が自然という風に結ばれるところに創造が躍進する。そして人間の内面には神秘的なむすびの力(産霊=むすひ)があり、無限がある。それは勝れた情緒や直観になって働き、事物の内面的調和――神の偉大な生命――実在の新しい発見、今までよそよそしかった事物に思わぬ親密や実感を覚える、その感動をおのずから言語文字に表現する。これがすなわち詩歌である」

 

 私たちは本来詩人たるべき素養を持っているのです。安岡先生を師と仰ぐ私たちは、詩歌をもっと活用して精神のはつらつさを高めたいものです。

 

神磯の鳥居1

神磯の鳥居3

写真=大洗海岸の磯の岩の上に建つ神磯の鳥居