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天空を自在に舞うオーロラ

沈黙の響き (その56)

「沈黙の響き(その56)」

人間は宇宙の神秘の扉を開く鍵だ

 

  安岡正篤先生の著述は天啓(インスピレーション)をもたらすものが多い。常人の思考の域を超えたところから発せられるものが多く、その都度ウーンと考え込み、驚嘆してしまいます。例えば次の一文もそうしたものの一つです。

「我々の個性はまことに宇宙の神秘を開く鍵である。我々はみずからの心田を培(つちか)う思想を濃(こま)やかにし、直感を深くすればするほど、宇宙人生から不尽(ふじん)の理趣(りしゅ)を掬(く)みとることができる。大自然の生命の韻律に豊かに共鳴することができる」

 

 何と私たちの個性を「宇宙の神秘を開く鍵だ!」とまで言われています。この指摘には身震いしました。そして天然の響きには「天籟(てんらい)」「地籟」「人籟」というものがあることと紹介されます。

 

「天籟なるものがある。地籟なるものがある。人籟なるものがある。大自然の海の一波である我々の個性が、その大いなる旋律に和して、そこにおのずから湧き出ずるもの、すなわち詩ということができよう。

 

詩の根底には、やはりどうしても純真なる生活、敬虔にして自由なる人格、少なくとも無限への憧憬(しょうけい)、驚かんとする心がなければならぬ。感激は詩の生命である」(『儒教と老荘』明徳出版社)

 

天籟とは大自然に鳴り響く風などの妙音、地籟とは地上に起こるいろいろな響き、そして人籟とは人が作り出すさまざまな音のことをいいます。

 

≪ヒマラヤの白き神々の座≫

私は平成8年(1996)6月、致知出版社から『宇宙の響き――中村天風の世界』を上梓しました。これは脳梗塞で倒れた後の闘病生活を支えてくれた哲人中村天風先生のことを、インドのヨガの行者カリアッパ師について修行したヒマラヤまで出掛け、現地踏査して書き上げた労作です。

 

ヒマラヤの東端にある第3の高峰カンチェンジュンガの麓のゴルケ村での取材を終え、私はヒマラヤ中央部にあるポカラに移動し、アンナプルナに向かう途中の尾根伝いにあるダンプスに向けてトレッキングしました。

 

急坂を登ってようやく尾根道に出ると、深い谷を挟んだ向こうにヒマルチュリ、マナスル、ダウラギリの連峰が飛び込んできました。「白き神々の座」と崇(あが)められているヒマラヤの峰々を見晴るかし、全身がわなわなと震えました。安岡先生が力説されているように、私たちの個性・感性はまさに「宇宙の神秘を開く鍵」なのだと感じました。

 

 地球の屋根といわれるヒマラヤですらそういう感動を覚えたので、天空に舞うオーロラを見上げたら、さらにまた新たな気づきを得られるのではないかと思いました。

 

≪天空に乱舞するオーロラ≫

 数年後の12月、念願だったアラスカのフェアバンクスにオーロラを観に行きました。フェアバンクスはアラスカ最大の都市アンカレジから北北東へ約450キロメートル進んだアラスカ州中央部にあり、冬季は摂氏マイナス30度から40度、真冬にはマイナス50度以下になることもある極寒の地です。

 

 ホテルのあるフェアバンクスの中心部は街路灯など人工的な明かりが邪魔するので、郊外のビジターセンターで待機していると、センターの人が、オーロラが出たぞと知らせてくれました。防寒具の襟を立て、口も頬もマフラーで覆って、急いで零下25度の戸外に出ると、針葉樹の林の上から緑のカーテン状の光の帯が走り、全天を瞬時に動いていました。

 

「ウワー、これがオーロラか!」

 見上げている間に光の帯は幾条もの帯に分かれ、無音のうちに全天にサーッと展開していきます。

「オオッ! まるで生きているみたいだ」

 その速さと変化は想像を超えていて、瞬時に天空を横切り、あるいは乱舞して、驚くような天体ショーが展開されました。

 

安岡先生は、「宇宙の神秘の扉を開く鍵は自分自身の中に内蔵されている」 と言われます。私は改めて、自分の感性を磨くことを仇やおろそかにしてはならないと言い聞かせました。

 

≪人生の至高体験≫

 人間は何かを目撃すると、強い印象を受けます。瞑想によっても魂は引き揚げられますが、視覚的印象もゆるがせにできません。私は取材するとき、現場で追体験することを何よりも重要視しており、追体験するまで深掘りし、追体験を誘引するよう心掛けていますが、このときも自分に命じました。

 

人間は、外見上は起きて半畳、寝て一畳しかないちっぽけな存在ですが、その内容においては無限大に広がっている存在です。感性が高まれば高まるほど、世界は広がり、深まって、認識はものごとの深奥に達します。

 

 私はアラスカでオーロラを見て、私の人生の次元が一段階上がったと感じました。後年、読者を誘って北極圏のカナダ、イエローナイフにオーロラを見に行きましたが、それはこの高揚感を味わってほしかったからです。

 

≪人間の内面には神秘的なむすびの力がある≫

安岡先生は『新編漢詩読本』に大自然の妙音についてこう書いておられます。

「生命のある処、到る処、韻律がある。水のせせらぎにも、風のささやきにも、雲の行き来にも、日の輝きにも、人間の感激にも、やるせない苦悩の中にも、不思議な韻律があって、振動に富む言語文字をもって自らを表現しようとする。

 

 その勝れた表現は、これに接する人々の感情の共鳴を高め、直観の光を遠くし、思索を深め、世の中の打算や仕事の焦燥から人を救って、ほのかな慰めや、時にゆかしい憂愁にも誘う。これは道徳の峻厳、信仰の崇高にも和して、人間の生活を浄化し、精神を救う美の一種で、人々はこれを詩という」(福村出版)

 

 詩や散文を書くことで、私たちの感性はいや増しに研ぎ澄まされていくというのです。それは私も一人のもの書きとして、推敲(すいこう)を重ね、掘り下げることの重要さを感じていました。それだけにこの言葉は身に沁みます。

 

「詩は外部感覚の世界とは違った、一つの内部経験と秩序の世界を造り、利害打算や機械的な思考、衝動的な感情などの有害な副作用から、人間の生命を和らげ、現実の涸渇を沽(うるお)すものである。

 

 人間が自然という風に結ばれるところに創造が躍進する。そして人間の内面には神秘的なむすびの力(産霊〔むすび〕)があり、無限がある。それは勝れた情緒や直観になって働き、事物の内面的調和――神の偉大な生命――実在の新しい発見、今までよそよそしかった事物に思わぬ親密や実感を覚える、その感動をおのずから言語文字に表現する。これがすなわち(しい)()である」

 

 安岡先生は佳書に出合うと、生きていてよかったと感じると書いておられますが、私は安岡先生が得難い佳書を書き残してくださっていると感じてなりません。読書は私にとって掛け替えのない求道の方法です。安岡先生は私にとってまさしく「導きの星」でした。(続き)

天空を自在に舞うオーロラ

写真=天空を自在に舞うオーロラ

 

 


光は分け隔てをすることなく、すべての人を包みます

沈黙の響き (その55)

「沈黙の響き(その55)」

光はすべてのものを包み込む

 

心に響く名曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」の歌詞で使われているraise について述べているうちに、セキレイの母子を例に“いのち”に賦与されている親が子をいたわる思いが、実は存在すべてに潜在しているものであり、それは宇宙の根本実在から来るものではないかと言及しました。

 

そしてさらに最近の科学の成果として、アーヴィン・ラズロたちが宇宙は無機質で伽藍洞(がらんどう)な空間ではなく、“意思”を持つ巨大な生命体だと主張していることに言及しました。科学者たちがそういう解釈を始めていることに私は新しい潮流を感じます。

 

ダマスコ途上でパウロに起きた異変≫

さて、ここでもう一度「ユー・レイズ・ミー・アップ」に返り、raise についてもう一つの解釈に言及したいと思います。raise me up のフレーズは、イエスが人々を助け起こし、励ましてこられたことと関連して解釈されてきました。実は初代教会の立役者の一人となったパウロもこの言葉と切り離すことはできません。パウロもイエスに「ユー・レイズ・ミー・アップ!」(主よ、あなたが私を助け起こしてくださったのです)と語っているのです。

 

パウロは「人は行い(律法)によるのではなく、神の恩恵により、信仰のみによって義とされる」と説き、ユダヤ教とイエスの教えの違いを鮮明にし、キリスト教が成立するのに大きな役割を果たしました。アウグスティヌスはこの「信仰義認論」を高く評価し、さらにルターなどの宗教改革者たちが唱える「信仰義認論」の核心となりました。パウロはキリスト教が世界宗教として飛躍するうえで決定的な役割を果たしています。

 

パウロがユダヤ教からキリスト教に回心するに至ったダマスコ(現シリアの首都ダマスカス)に行く途上で、こんな出来事がありました。ユダヤ教の正統派ともいうべきパリサイ派の熱心な信徒だったサウロ(パウロのへブル名)は、ユダヤ人でありながら律法を軽視すると見られるキリスト教徒を許しておけず、先頭に立って彼らを責め立てていました。

 

モーセの律法を遵守してユダヤの伝統を守ろうと思ったら、イエスはその伝統を破壊する者にしか見えなかったのです。サウロは大祭司から、ダマスコのユダヤ人でイエスに従う不届きなユダヤ人を拘束して、エルサレムに連行する権限を与えられてダマスコに向かいました。

 

≪敵対する者に言葉が臨んだ≫

その旅の途上、突然天から強い光が射してサウロを照らし、憂いに満ちた声が臨みました。

「サウロよ、サウロ、なぜ私を迫害するのか……」

 普通、敵対する者を訊問するときは難詰する調子になるものですが、その声はそんな調子では全然なく、悲しい響きすらありました。

 

〈えっ……なぜ……〉

その声の主はあまりに神々しい光に包まれていたので、サウロは目が眩(くら)んで昏倒(こんとう)してしまいました。そしてふり仰いで、悲しみの声の主に問い返しました。

「あなたは……一体、どなた……ですか?」

 悲しみの声の主はさめざめ涙を流しているようでした。

 

「……私はお前が迫害しているイエスだ」

「えっ、イエス? 私が迫害しているイエス?」

「そうだ。お前は間違ったことをしている。私がしようとしていることを阻むとは……、そんなことにお前の貴重な人生を費やしている暇はないのだ」

 

 イエスの声色(こわいろ)にはサウロを責める響きは全然ありません。それよりも無意味なことに時間を費やしてはいけないと諭す口調です。

「さあ、立ち上がりなさい。ダマスコに行けば、そこでお前がこれから何をしなければならないかわかるだろう」

 

その声に助け起こされ、立ち上がろうとしましたが、サウロは目が見えなくなっていました。まわりの人々に何か声が聴こえなかったかと訊ねても、みんなは口々に何も聴こえなかったとかぶりを振ります。

〈あれは幻聴だったのか? そんなはずはない。私は確かに聞いた。それに目が見えなくなっている。何かが起こったんだ〉

 

サウロは手を引かれてダマスコ市内に入り、ユダの家に泊まりました。あまりにもショックだったので、一体何が起きたのか、ひたすら祈り求めました。

〈あのまばゆいほどの光に包まれ、絶大な威厳があったイエスというお方は一体何者ですか? これまでイエスはモーセの律法を軽んじてユダヤの伝統を壊す者だと思い、それを阻止しようと急先鋒に立ってきましたが、私はとんでもない思い違いをしていたのですか……? どうぞ答えてください〉

 

両の頬を涙が伝い、床を叩いて祈り求めました。しかし、静寂な空間は何も答えません。小机の上に置かれたランプの炎が揺らいでいます。真実を明かしてくださいと祈り求める声は3日間続き、食べることも飲むこともしませんでした。それほど真剣だったのです。

 

≪私は敵対する者の手当などできません!≫

一方、イエスは信徒のアナニヤに霊的に現れて、サウロの目を癒してくれるよう頼みました。

「アナニヤよ、ユダの家にサウロというタルソ人(びと)が泊っている。私はサウロに、お前が訪ねてきて目に手を当てて祈り、再び見えるようにしてくれると伝えている。訪ねていって介抱してあげなさい」

 

でも、アナニヤはその要請には素直に従うことができません。

「主よ、あの男はエルサレムで信徒たちにどんなにひどいことをしたか、私は多くの仲間から聞いています。彼がダマスクにやって来たのも、祭司長からキリストに従うユダヤ人を捕縛してエルサレムに移送するよう権限を与えられているからです。そんな憎き敵対する者の手当なんかできません!」

ところがイエスは、アナニヤの抗議を意に留めず、サウロは自分が選んだ者で、これから大きな役割を果たしてもらわなければならないのだと言われました。

 

「サウロは異邦人や諸国の王たちに私のことを伝える者として、私が選んだ者です。私のことを伝えるために、これからサウロがどんなに苦しむことになるか……それを思うと辛い。でも、この福音は国境を越えて、多くの国々に伝えられなければならないのだ。それがサウロに与えられた使命なんだ」

 

 イエスは敵とか味方とかという区別は全然しませんでした。諸国への伝道において、サウロが背負わなければならない役割を語りました。とうとうアナニヤが折れ、サウロを訪ねて目を癒してやり、元通り見えるようにしてやりました。目が見えるようになったサウロはイエスに従う者たちに与えられている不思議な権能に驚き、バプテスマ(洗礼)を受けて回心しました。

 

この劇的な回心以後、サウロはイエスの熱心な証し人として、特に異邦人への伝道を使命として、小アジア、マケドニアなど、エーゲ海沿岸一帯に前後3回にわたって福音を伝えました。しかもパウロが旅先から小アジアの信徒たちに書き送り、心の持ち方について説いた深遠な手紙は、聖書を編纂(へんさん)される際に採用され、キリスト教の根幹を形成しました。

 

そのサウロが「主よ、あなたは敵対している私をも抱きしめ、助け起してくださいました」と告げていたことを考えると、感慨深いものがあります。

以上述べたように、欧米キリスト教圏では恋人を慕う歌も“大いなる存在”と重なって歌われることがしばしばのようです。(続き)

光は分け隔てをすることなく、すべての人を包みます

写真=光は分け隔てをすることなく、すべての人を包みます


命の惑星

沈黙の響き (その54)

「沈黙の響き(その54)」

宇宙は伽藍洞の空っぽなのではない

神渡良平

 

 

 前回の「宇宙の響き」(その53)でセキレイの話を枕に、あらゆる“いのち”に遍満している性向から判断して、「宇宙は伽藍洞(がらんどう)の空っぽではないのではないでしょうか。それよりも“意味”が備わり、すべてを“愛”がカバーしている相互に結び合っている有機的な総体なのではないでしょうか」と書きました。

 そのとき、華厳経に書かれている「宇宙は帝網珠(たいもうじゅ)で覆われている」という諦念(たいねん)を紹介したところ、大きな反響がありました。帝網珠という言葉は拙著『自分の花を咲かせよう――祈りの詩人坂村真民の風光』(PHP研究所)に臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師が序文を寄せてくださったとき、お使いになった言葉です。

華厳経はこの宇宙を大きな網に譬え、網の結び目にそれぞれ綺麗な珠(たま)がついているといいます。一つの珠が光ると、その光は近くの珠に映り、その光は更に隣の珠に映って、幾重にも幾重にも広がって全宇宙を光でカバーしているそうで、それを帝網珠と表現しているのだそうです。透徹した悟った眼差しで見ると、宇宙は帝網珠で覆われている光り輝く存在だというのです。

 前号で私がそう紹介すると、大阪府茨木市千堤寺で「まだま村」を主宰されている立花之則(ゆきのり)先生が早速電話をくださり、仏教が持っている炯眼(けいがん)について話が弾みました。

グループLINEの連載「宇宙の響き」では目下、歌「ユー・レイズ・ミー・アップ」で歌われているraiseについて述べている最中でしたが、今号でも話を先延ばしして、前号に続いて“宇宙観”について述べようと思います。世の中の最先端を行っている宇宙物理学者や哲学者たちに新たな変化が生まれているように見えるのです。

 

復活する「魅力に満ちた宇宙」観≫ 

近代科学が成立して産業社会が活発になるにつれ、“効率”が最優先され、いつしか宗教的な世界観は片隅に追いやられていました。ところがそれに革命的な変化が起きつつあり、いま私たちは人類が経験したこともないような大変革の時代に差しかかっているようです。

その一つが、アーヴィン・ラズロ博士が物質・生命・意識の統合理論である「システム哲学」を説いて、世界の科学界に根本的な変化を巻き起こした出来事です。

1933年、ハンガリーに生まれたラズロは、早くも少年時代にピアニストとして頭角を現し、その後米国に渡ってコロンビア大学で物理学、エール大学で哲学を学び、エール大学教授、プリンストン大学教授、ニューヨーク州立大学教授として教鞭を執りました。ラズロは古典的な物理学を超えて、原子世界から人間社会、宇宙までを貫く原理とその構造を探究する「システム哲学」を提唱し、世界的なオピニオンリーダーとなりました。

例えばその代表作『叡智の海・宇宙――物質・生命・意識の統合理論を求めて』(日本教文社)でこう述べています。

「私たちが別々の存在であるというのは幻想に過ぎない。私たちは全体の中の結ばれ合った部分――私たちは運動し記憶する海だ。私たちの存在は、あなたや私よりも、海をゆくすべての舟を合わせたよりも、そしてこれらの舟がゆく海そのものよりも大きい」

 あるいは別の著書『生ける宇宙――科学による万物の一貫性の発見』(日本教文社)では、

「宇宙は、そのなかに存在するすべてのものと共に、生物にも似た一貫性を持つ一つの総体をなしている」

 と述べました。宇宙は魅力に満ちた「生物にも似た一貫性を持つ総体」だというのです。その見解に共鳴する科学者がだんだん増え、ラズロ博士の仮説は説得力を増し、「有意義で意味のある宇宙」という見方が高まっていきました。

ラズロの影響は物理学者、哲学者にとどまらず、芸術家や宗教家まで広がっていき、1978年、7人のノーベル平和賞受賞者を含む55人の科学者・芸術家・宗教家を集めて世界賢人会議「ブダペストクラブ」を発足させ、地球の未来にさまざまな提言を行うようになりました。そしてラズロ自身はノーベル平和賞の候補者としてノミネートされるまでになりました。このラズロ博士のことは日本でも龍村仁監督が映画『ガイアシンフォニー(地球交響曲)第5番』で採り上げたので、ご存知の人も多いでしょう。

 

≪アポロ宇宙船がもたらしたコペルニクス的転換≫

思えば19717月、人類が宇宙飛行船アポロ15号で初めて月面に立ったときというのは、そういうコペルニクス的変化が起き始めた嚆矢(こうし)でした。ジェームス・アーウィンは地球を離れ、月面から地球を一つの球体として見たとき、
“いのち”に満ち満ちている地球の美しさに目を奪われてしまいました。

そして自分の“いのち”は、はるか彼方にポツンと輝いている地球の“いのち”と一本の細い糸で結ばれており、いつ切れてもおかしくないか弱い存在で、この月面探査は神の恩寵(おんちょう)なしには成功しなかったと感じ入りました。神の臨在を感じたアーウィンは地球に帰還すると、NASAを辞めて伝道師になりました。

そうした流れはニールス・ボーアなどによって急速に発達した量子論によって、宇宙は伽藍洞(がらんどう)で空虚な容れ物ではなく、世界はミクロの世界からマクロの世界までつながっていることが明らかにされ、いまや古典的物理学の世界観を駆逐しつつあります。

 このパラダイムシフトは新しい時代が到来しつつあることを予感させます。パラダイムシフトとは、それまでの時代、当然のことと考えられていた社会全体の価値観が革命的に変化することをいいますが、現代はそれが現在進行形で起こりつつあるエキサイティングな時代だといえます。もちろん世界はまだまだ無神論的世界観が主流ですが、こんな変化が起きつつあることは知っておくべきです。

 

≪新しい時代の到来を告げる村上和雄教授≫

そういう新しいタイプの科学者の代表的見解のひとつが、筑波大学の故村上和雄名誉教授の見解です。村上教授の一般向け啓蒙書『生命の暗号――あなたの遺伝子が目覚めるとき』(サンマーク出版)はこう説いています。

「ヒトの遺伝子情報を読んでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくありません。これだけ精巧な生命の設計図を、いったい誰がどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったとしたなら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間業(にんげんわざ)をはるかに超えている。そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は『偉大なる何者か』という意味で、10年くらい前から“サムシング・グレート”と呼んできました」

村上教授はノーベル賞級の遺伝子研究者ですが、「遺伝子が示している暗号」をこう語ります。

「生物はすべてが何らかの関係を持っています。遺伝子レベルまでさかのぼれば、基(もと)はひとつです。つまり、DNAを調べていくと、地球上のすべての生き物は、植物も動物も微生物も、もちろん人間も、何もかもすべてが同じ遺伝子暗号を使っているということがわかったのです。始まりはたった一つの細胞なのです。言い換えれば、すべてがたった一つの命につながっていることになるのです。それはまた、宇宙が誕生してから、長い歴史が自分という一人の遺伝子の中に入っているということになるのです」(同掲書)

これも科学者の間で起きつつあるコペルニクス的変化のひとつです。私はこうした世界の潮流にとても励まされ、自分が感じつつあったことは間違っていなかったと思っています。(続く)

 

命の惑星

アポロ宇宙船2

写真1=人のいのちは生きとし生けるものと同じように宇宙のしずくだ!

写真2=月に向かうアポロ宇宙船


セキレイ 

沈黙の響き (その53)

「沈黙の響き(その53)」

セキレイが教えてくれた宇宙の本質

 

昭和の碩学(せきがく)安岡正篤(まさひろ)先生が昭和の初期に始めた二つの学校・金雞(きんけい)学院と日本農士学校のテキストとして書き下した書物『いかに生くべきか――東洋倫理概論』(致知出版社)に、愛読書が持つ効用をこう書いておられます。

「心を打たれ、身に染むような古人の書を、我を忘れて読み耽(ふけ)るとき、生きていてよかった! という喜びを誰しもが感じる。そんな書物に出合うと、時間だの空間だのという側面を離れて、真に救われる。ああ、確かにそうだ! といわゆる解脱に導かれる。そういう愛読書を持つことが、またそういう思索体験を持つことが、人間として一番幸福であって、それを持つと持たぬとでは、人生の幸、不幸は懸絶してくる」

佳書は私たちを癒してくれ、鼓舞してくれ、さらには解脱に導いてくれるという点でかけがえのないものです。そういう役割りを果たしてくれるのは佳書だけではなく、人生で起きるあらゆる出来事、そして私たちを取り囲んでいる万物万象もまた、私たちを刮目(かつもく)させ、新鮮な気持ちにさせてくれるものです。

 

≪セキレイが示した母性本能≫

山口市に住む私の友人の前田敏統(としのり)さんは、阪神淡路大震災にボランティアとして参加して以来、毎月『養黙(ようもく)』というニュースレターを出しています。今月号で310号になるので、もう2510か月になります。その3月号にこんな話が載っていました。

「近くのコンビニに振り込みに行こうと車を出しました。すると車道のセンターラインで一羽のセキレイが何かネズミ色のものをつついており、車が近づいても逃げません。不思議に思いつつ車を停めてよく見ると、ネズミ色のものは何とセキレイのヒナだったのです。

ヒナは巣立ちしたものの、飛ぶことに疲れ果てて、地に降りたまま、動けなくなっていました。母鳥は必死になって飛びたつよううながしますが、ヒナは動けません。

私はこのままでは危ないと思い、咄嗟(とっさ)にハザードランプを点滅させ、車を降りて近づきました。ヒナは私を見て危険を感じたのでしょうか、あわてて動き出し、私はヒナを追い立てて藪蔭に逃げ込ませました。

驚いたことに、その間母鳥は二度三度と急降下して私に襲いかかってきたのです。あの小さな体で、何百倍も大きな体の私に体当たりを試み、ヒナを護ろうとして。私はそんなセキレイの母性本能の健気さに涙が出ました」

前田さんのそんな体験談を読んで、私はすべての“いのち”が授かっている母性本能について考えさせられました。人間も動物も小鳥も虫も、生きとし生けるものすべてがみんなそういう愛を授かっている……。

ということは、すべての被造物の根源である天の本質は愛だということになります。この全宇宙は無機質な伽藍洞(がらんどう)なのではなく、それを貫いてカバーしているものは“愛”に他なりません。その愛を、自分の人格の創造主として、具現化することが私たちの務めなのだといえましょう。

 

≪宇宙にあまねく存在している神≫

仏教の宇宙観は私たちの周囲に遍満している“いのち”がすべてを具象し、凝集していると説いています。ところがそういう捉え方は伝統的なキリスト教神学では受け入れられない考え方のようです。

遠藤周作は『深い河』(講談社文庫)で、大津という落ちこぼれの日本人カトリック修道士がリヨンの修道院で、「日本人の感性からすると、神はすべての“いのち”に偏在しているように思えるんです」と訴えると、優等生的なフランス人神父がスコラ哲学を持ち出して、そんな汎神論的考えは異教的だと断罪されます。

結局そうしたことが原因で、大津神父はカトリック教会の司祭としては叙任されず、インドのヴァラーナーシィーの教会に追い払われます。このくだりは、遠藤周作の親友の井上洋治神父がフランスでもっとも厳格なカルメル会修道院で七年間修業したけれども違和感を拭うことはできず、失意のうちに帰国し、独自のカトリックの道を歩いていることを織り込んでいると思われます。

カトリック的神観が正しいのか、それとも生きとし生けるものに神はあまねく存在していると受け取るのが正しいのか、私はよくわかりませんが、神はすべてに偏在されているという受け止め方はあながち間違っていないように思います。

 

≪宇宙は帝網珠で覆われている!≫

華厳経はこの宇宙を大きな網に譬え、網の結び目にそれぞれ綺麗な珠がついているといいます。一つの珠が光ると、その光は近くの珠に映り、その光は更に隣に映って、光は幾重にも幾重にも折り重なって全宇宙を光でカバーしているそうです。それを帝網珠(たいもうじゅ)と表現しています。

悟った透徹した眼差しで見ると、私たちは帝網珠に取り囲まれているように見えるようです。私たちに母性本能を見せてくれた前述のセキレイも帝網珠の光る珠の一つだと言えましょう。

法華経が伝えているのは、宇宙は無機質な伽藍洞なのではなく、相互につながり、愛に満ちた有機的な世界だということです。そう聴くと、私たちはみ仏に見守られ導かれていると思えて、何だかホッとします。

 

≪徳永康起先生が語りかけているもの≫

私の最新著『人を育てる道――伝説の教師徳永康起(やすき)の生き方』(致知出版社)で採り上げた徳永先生の生き方は「自分を作るのは自分である」であり、それをご自身の教育の根幹に据えておられました。人間は自分の責任において自分自身をつくり上げるのだと自覚したとき、自分が置かれた状況に愚痴をこぼすことがなくなり、すべて受けて立とうという気持ちになり、本当の意味で切磋琢磨(せっさたくま)するようになります。

徳永学級で育った子どもたちに顕著に主体性が育くまれたのは、このモットーの下で、徳永先生の慈愛の眼差しで包まれていたからだといえます。徳永先生はことさらに宇宙観に言及はされなかったけれども、肯定的な宇宙観を持っておられたので、とても和んだ雰囲気をお持ちでした。

自分の持ち場でこつこつ努力すると光を発するようになり、それが他の人にも好影響を与えて、周りもますますよくなっていくのだ――そう考えると、自分の持ち場を護るということは、大げさに言うと、全宇宙を救うことになるのではないでしょうか。(続き)

セキレイ 

写真=尾を上下にピコピコ動かしながら小走りに移動するセキレイ


沈黙の響き (その52)

「沈黙の響き(その52)」

イエスが流された涙

 

 

≪ゲッセマネの園の悲しみのイエス≫

先週は闘病中病床で聴いた「ユー・レイズ・ミー・アップ」にまつわる話をしました。この歌を検索すると、イエスを讃美する歌として解釈したバージョンがヒットしました。曲の背景として、イエスが深夜のゲッセマネの園で、

「願わくば、この苦杯を取り除いてください」

と血の汗を流して祈られたときの状況が描かれていました。当時イエスはユダヤ社会を刷新する精神的指導者として急速に頭角を現しましたが、一方保守的なユダヤ教の指導者たちは、モーセ以来の伝統を破壊している異端者だと嫌悪されていました。ユダヤ教の指導者たちの扇動は功を奏して、イエスはだんだん追い詰められ孤立化していきました。そのまま行けば異端者として断罪され、十字架に付けられて殺されてしまいます。

その劣勢を挽回し、新指導者として受け入れられるよう起死回生しようとして臨んだのがゲッセマネの園での祈りでした。起死回生できる条件はただ一つ、ペテロ、ヤコブたち3人の弟子がイエスと一つになって祈り、苦境を跳ねのけることでした。イエスは生死を賭けて祈っていたのです。

ところが真剣な祈りを終えて弟子の所に戻ってみると、彼らは睡魔に勝てずに眠りこけていたのです。人間社会の運命を決める決定的な霊的闘いのとき、イエスを支えることができなかった弟子たち! 最も肝心な闘いのときだったのに!

イエスはとても落胆されました。イエスは再度談判祈祷されましたがそのときも、さらに3度目のときも弟子たちは支えになることができず、イエスは生きて使命を果たす道は閉ざされ、後に残されたのは十字架の道だけでした。

濃い靄(もや)がかかった木立ちの中でのそのシーンは、それらの人々が黒いシルエットで表現されていたので、裏切られたイエスの悲しみがいっそう強く胸に迫ってきます。そんな情景を背景にして、「ユー・レイズ・ミー・アップ」が流れるのです。

イエスの足手まといになっている人間……

そんな人間たちを支え、励まされるイエス……

イエスに励まされ背中を押してもらえたから、私はがんばって頂上を極めることができ、荒海も恐れずに渡れるようになった……

切々と訴える曲を聴きながら、私はこの歌が欧米キリスト教世界ではこういうふうにも解釈されているのかと胸をふたぎました。

 

≪イエスと罪びとの絆を示す歌≫

この解釈は姦淫を犯した現場で捕らえられ、イエスのところに引き立てられてきた女のことが書かれている「ヨハネによる福音書」第8章の有名な話に通じます。律法(トーラー)では姦淫を犯せば石打ちの刑で死刑に処すと定められているので、イエスがユダヤの律法を守るのであれば、この女は石打ちの刑にしなければなりません。だから祭司、律法学者、それにパリサイ人(びと)などのユダヤの指導者たちは、女を引き立てイエスの前に突き出しました。

律法とは神が祭司や預言者を通じて示した生活と行動の細かい規範のことで、狭義では『モーセ五書』に依拠します。パリサイ派、もしくはパリサイ人とは、律法を厳格に守り、細部に至るまで忠実に実行することによって神の正義を実現しようとする人々ですが、形式に従うだけで内容をかえりみず、偽善に陥ってしまったので、しばしば偽善者とみなされるようになりました。

律法学者やパリサイ人が『モーセ五書』を持ちだして裁く限り、誰も反対することができず、姦淫を犯した女は石打ちの刑によって殺されるしかありません。律法学者やパリサイ人は姦淫の女をイエスがどう裁くかを見ることによって、イエスは正統派のユダヤ教徒なのか、それとも異端者なのかを判別し、イエス糾弾の根拠としようとしたのです。一歩間違えば、イエス自身が糾弾の矢面に立たされてしまいます。

 

≪姦淫の女を裁かなかったイエス≫

イエスは身をかがめ、黙って指で地面に何か書かれ、騒ぎに巻き込まれません。祭司や律法学者、パリサイ人がやかましく責め立てるので、イエスは身を起して言われました。誰も責めることはせず、静かで哀しみさえ含んでいる口調で言われました。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい」

思いがけない、しかしずしりと重たい言葉が発せられました。祭司や律法学者たちはみんな絶句してしまい、振り上げていた拳を下すことができません。気まずくなって、一人去り、二人去りして、みんないなくなってしまいました。

ついに女だけになると、イエスは身を起して訊かれました。

「女よ、みんなはどこに行ったのですか。あなたを罰する者はなかったのですか」

 女は涙声で答えました。

 「主よ、……誰もありません」

イエスはひとこと言われました。

「わたしもあなたを罰しません。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」

 そこには咎(とが)めるような態度は全然ありません。

石打ちの刑になり、石を投げられ、頭を割られ、血まみれになってもおかしくない状況なのに、イエスは文字通り矢面に立って、女を律法学者やパリサイ人の糾弾から守ってくれました。

「こんな私なのに……イエスさまは身をもって守ってくださった」

と涙ながらに感謝する姦淫の女――。

たった一匹の迷える子羊を探して助けられるイエス。

たった一人を誰よりも大切にされたイエス……

女は天地の理法の前に厳然と立たされました。もう罪は決してくり返すまい――女は本当の意味で堅く堅く誓ったのです。これが、イエスがもたらした変化だったのです。この解釈が示すように、You raise me up というフレーズは、「主よ、あなたが私を助け起こし、気持ちを強く持たせ、背中を押してくださったのです!」という意味でもあったのです。

 

≪天に引き上げられたイエス≫

さらに、You raise me up にはこんな意味もありました。新約聖書の4つの福音書のうち、「ヨハネによる福音書」を除く「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」の共観福音書は、ゴルゴダの丘でのイエスのはりつけのシーンを克明に書いています。

そのとき神は霊的闘いに勝利したイエスを天高く引き上げられ、復活の道を開かれましたが、ここでもraiseという単語が使われています。「神はイエスを高く引き上げられた」というのです。こう見てくると、raiseという単語の奥深さに驚くばかりです。

人々が「ユー・レイズ・ミー・アップ」を聴いてしばし涙するのは、無意識のうちに自分に差し伸べられたイエスの手を連想するからではないでしょうか。(続く)

雲間から射す日の光 

写真=雲間から射す日の光


街頭で歌を披露するハーケンスの写真

沈黙の響き (その51)

「沈黙の響き(その51)」

「ユー・レイズ・ミー・アップ」が心を振るわせた!

 

≪「まさか!」という坂≫

 思いもしなったことが起きるのが人生です。令和元年(2019)の春ごろから、私は胸に息苦しさを覚え、体調がおかしいと感じていました。自宅から最寄りの駅まで、昇り下りのある坂道を歩いて20分かかりますが、それまでは歩くことは全然苦にならず、ノンストップですたすた歩いていました。

ところが歩くことがだんだん苦痛になり、荒い息をハーハー、ゼーゼーと吐いて、2度休み、3度休みするようになりました。その度に呼吸を整えないと歩けなくなったのです。

「随分体力が落ちたなあ。もっと体力をつけなきゃ」

 そう思った私は、それまで5、6年通ってきたフィットネスジムに通う頻度を上げ、週に4回は通って、ウォーキング、レッグプレス、背筋、腹筋、25キロのバーベルを担いでスクワットなどをして、体力をつけようと努力しました。

ところが息苦しさは一向に改善されないので、とうとう東邦大学医療センター佐倉病院で診察を受けました。すると心筋梗塞(こうそく)や狭心症の疑いがあると診断され、急遽検査入院しました。

 

≪心筋梗塞と狭窄症を起こしていた心臓≫

診断結果は、心臓の冠動脈の右冠動脈が壊死して心筋梗塞を起こしており、残り2本の左冠動脈前下行枝と左冠動脈回施枝も高度狭窄(きょうさく)をきたして心臓肥大になり、左室収縮機能は41パーセントまで低下しているというのです。

危ないところでしたね。即刻胸を開いてバイパス手術を施す以外にありません。このままフィットネスジムで筋トレを続けていれば、突然倒れて救急車で搬送される途中、突然死してもおかしくありませんでしたよ」

 いやはや、私は真逆のことをやっていたようです。

心臓冠動脈の手術についてはセカンドオピニオンを取り、より経験豊富な、新東京病院の副院長を務めておられる中尾達也心臓血管外科部長に執刀してもらうことにしました。両脚の膝下から30センチメートルの静脈を切り取り、次に胸を30センチメートルほど切り、心臓を保護している肋骨を切り開けて心臓を露出させ、狭窄している冠動脈を、脚から切り取った血管に取り代える手術は8時間かかりました。

人間は死に直面するとフラッシュバックが起き、自分の人生を走馬燈のように見せられるそうですが、私にもそれが起きました。フラッシュバックは私の心を引き締め、人生の最終章に臨もうとする覚悟を新たにしてくれました。

 

≪どこからともなく聴こえてきた「ユー・レイズ・ミー・アップ」≫

手術が終わって集中治療室に移された私は、今は夜なのか昼なのか定かにわからないまま、夢うつつの中で空中をさ迷っていました。2日経ってようやく意識がもどって一般の病室に移されたとき、どこからともなく「ユー・レイズ・ミー・アップ」(You Raise Me Up=君がぼくに力をくれたんだ)の渋い歌声が聴こえてきました。オランダの初老のオペラ歌手マーティン・ハーケンスのテノールです。人生の裏も表も知り尽くした老境の人が渋い声で歌いかけます。

 

♪とても気が滅入って/苦境に遭って心が折れそうになるとき/静けさの中でぼくはじっと待っている/君がここに来て座ってくれるのを/君はぼくに勇気をくれるんだ/だから山頂にだって立てるんだ/君はぼくの背中を押してくれる/この荒波を越えるようにと

 ぼくは強くなれるよ/君の支えがある限り/君はぼくを励ましてくれる/ぼくが思っている以上にね

 

歌唱はサビに入り、愛する人の励ましを得て限りない力を与えられ、道が開けていったと、魂の叫びがほとばしり出ます。

 

♪君はこんなぼくでも立ち上がらせてくれた/嵐が吹き荒れる荒海を乗り越えるようにと/君は頼りないぼくを励ましてくれた/だから山頂にも立つことができる

ぼくは強くなれる/君の支えがある限り/君は背中を押してくれる/ぼくが想像している以上にね

 

 私はその歌声に聴きながら、そうだ、そうなんだよ、私も愛してくれる人によって励まされ、再び立ち上がる力を得たんだと反芻していました。大きな手術に耐えて体力を使い果たし、静養していたときだっただけに、心にしみ入ってきたのです。

 

≪老境にさしかかった歌手マーティン・ハーケンスの渋い歌声≫

歌い手のマーティン・ハーケンスは、若いころオペラ歌手を目指しました。しかし念願を果たせず、食べるためにパン職人になりました。もちろんその間もレッスンを続け、挑戦し続けましたがチャンスは訪れず、挙句の果てはパン職人の仕事さえ失ってしまいました。やむなく路上ミュージシャンとなって街頭で歌い続け、人々からなにがしかのドーネーション(献金)をもらって生計を立てていました。

娘さんがそんな父親の窮状を見るに見かねて、本人には無断でテレビのオーディション番組に応募しました。するとハーケンスはその番組でどんどん勝ち抜き、あれよあれよという間に優勝してしまいました。優勝の副賞としてCDが発売され、とうとう念願のデビューを果たしたのです! 「ユー・レイズ・ミー・アップ」で描かれているような人生を経験し、辛酸を舐め尽くしたからこそ、人々の心に響くような歌を届けることができるようになったのです。このとき(2003年)、ハーケンスはすでに57歳になっていました。

 その後、ハーケンスはアムステルダムやパリ、ロンドン、ニューヨークのステージに立つようになり、日本でもコンサートをやりました。現在はもう66歳ですが、それでも元気に歌い続けています。

 

≪人生の応援歌「ユー・レイズ・ミー・アップ」≫

「ユー・レイズ・ミー・アップ」はアイルランドの歌手ダニエル・オドネルが作詞作曲して、2003年に歌いだした歌です。愛する人の励ましによって人生に立ち向かう勇気を得たと歌った歌は多くの人の共感を得て、いろいろな歌手がカバーしました。

その中でも大きかったのは2005年、世界的な音楽グループで、4輪の赤や黄色のバラの花のように華やかなアイルランドのケルティック・ウーマンが歌ったことで一気に世界中に広まり、世界で最も権威のある音楽チャート・米ビルボードで、何と81週連続して1位を占め続けました。

この歌を頭がはげかかった無名の初老の歌手マーティン・ハーケンスが渋いテノールで歌い出しました。華やかなケルティック・ウーマンとは対照的な、恋人を心の底から称えるハーケンスの表現は大向こうをうならせました。

翌年の2006年2月、フィギュアスケーターの荒川静香さんが第20回トリノオリンピックでこの曲をバックに氷上でパフォーマンスして、見事金メダルに輝いたことから、いっそう知られるようになりました。

 

人生は物事がうまく行っている局面だけではありません。どんなに頑張ってもうまくいかず、疲れ果て、うずくまってしまうときもあります。そんなとき、誰かが隣に座り、話を聴いてくれ、悲しみを分かちあってくれたら、どんなに気持ちが晴れ、もう一度挑戦しようという気持ちになるものです。

私の場合もそうでした。手術後の病床で静養していたときだったので、ハーケンスの実直なテノールはいっそう私の心の琴線に触れ、共感を呼び覚ましてくれたのです。PCやスマホで「ユー・レイズ・ミー・アップ」を検索すると、ハーケンスのユーチューブがご覧になれます。その歌声を聴きながら、どうぞあなたも勇気を得てください。(続く)

街頭で歌を披露するハーケンスの写真

写真=街頭で歌を披露するハーケンスの写真2枚

 

 


沈黙の響き (その50)

「沈黙の響き(その50)」

自己肯定感はあらゆる推進力の元だ

 

 

≪だっこが与える安心感≫

広島県世羅小学校の1年生のクラスでの1シーンです。先生がかわいい盛りの1年生に話しかけました。

「さあ、今日はすてきな宿題を出しますよ。今日は家に帰ったらお母さんから抱っこしてもらいなさい。家におじいさん、おばあさんがいたら、お2人にもお願いして抱っこしてもらってね。お父さんがお勤めから帰ってこられたら、お父さんにも抱っこしてもらうのよ。そして抱っこしてもらったら、どんな気持ちだったか、それを作文に書いていらっしゃい」

普段出たことがない「抱っこの宿題」という作文の宿題が出たので、クラスは「わあっ」とどよめきました。でもまんざらでもなさそうです。みんなお父さんやお母さんに抱っこされている自分の姿を想像して、はしゃいだり、照れたりしています。ホームルームが終わると、スキップを踏むかのように、楽しそうに教室から出ていきました。

翌朝、みんながニヤニヤしながら提出した作文は、家庭における親子の情愛を見事に書き写していました。例えば次の作文です。

「せんせいが、きょうのしゅくだいは、だっこです。みんながいえにかえったら、りょうしんにだっこしてもらって、そのときのじぶんのきもちをかいていらっしゃいといわれました。そんなしゅくだいははじめてだったからおどろきました。でもうれしかったです。だって、だっこしてもらうこうじつができたんだもん。いそいでいえにかえって、おかあさんにおねがいしました。

『だっこのしゅくだいがでたんだよ。しゅくだいじゃけん、だっこして』

そういったら、せんたくものをたたんでいたおかあさんがおどろいてたずねました。

『そうなの、だっこのしゅくだいがでたの。おもしろいしゅくだいね。だったらだっこしてあげよう。さあ、いらっしゃい。ママのひざにのって』

おかあさんはそういいながら、ぼくをだきしめてくれました。おかあさんにだきしめられていると、あまいにおいがして、ぼくのからだもぽかぽかとあったかくなって、とってもうれしかった。

『けんちゃんはいい子だから、ママのほこりだよ』

そういって、ぼくをなでなでしてくれました。

つぎはちいちゃいばあちゃんです。おかあさんがちいちゃいばあちゃんに、

『だっこのしゅくだいがでたからだっこしてやって』

と、たのんでくれました。ちいちゃいばあちゃんはぼくをぎゅっとだきしめて、

『おおきゅうなったのう。どんどんせがのびるね。もうちょっとしたらおばあちゃんをおいこすよ』

とあたまをなでてくれました。とってもうれしかった。

つぎはおおきいばあちゃんのばんです。おおきいばあちゃんはぼくをだきしめて、もちあげようとして、『おもとうなったのう。もうもちあげきれんようなった』とおどろきました。そういわれてうれしかった。

さいごはおとうさんでした。おとうさんはぼくをだきかかえて、どうあげをしてくれました。くうちゅうにからだがふわっとうかび、うちゅうひこうしみたいできもちがよかった。そしてぼくをおろして、しっかりだきしめてくれました。おとうさんのからだはでっかくて、がっちりしていました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなに、だきしめてもらえました。

だっこのしゅくだい、またでたらいいな」

 大きいお婆ちゃんとはお父さんのお母さん。小さいお婆ちゃんとはお母さんのお母さんです。家族のみんなに抱きしめられて、幸せいっぱいな様子が伝わってきます。父母やお婆ちゃんのぬくもりの中で、どんなに自分が大切にされているか、実感したのでしょう。

温かい大家族の中で子どもが得るものは、自分という存在が愛されているという確信です。そこから来る自分への自信が“存在感”に発展していきます。

 

≪2篇の詩が描写しているもの≫

 この作文と同じものが、茨城県ひたちなか市に住む詩人、鈴木さえ子さんの詩「4人だっこ」に描写されています。

  

一番下の洋輝(ひろき)が赤ちゃんだったころ/膝にだっこしていたら/その上の勇輝(ゆうき)が/「ぼくもすわりたいなあ」/「いいわよ」/ニヤッと笑ってすわった/その次、その上の美穂(みほ)が/じーっと見ている/「すわりたいの? いいわよ」/ニコッと笑ってすわった

知らん顔していた一番上の一摩(かずま)が/三人もすわった膝の方を見ながら/「ぼくもすわりたいんだけどなあ」/そんな目をしてきた/「一摩もすわる? いいわよ」/ケケケッと笑ってすわった

4人を大きな手で抱え込み/――みんなおんなじ、おんなじね――/唱(とな)え歌を歌ったら/なんかうれしくなっちゃった/ドドッとくずれた/一瞬だけの四人だっこ

母さんのお膝は/4人分のあったかお膝

 

こういう母の愛に包まれたら、自分は愛されているという肯定的な存在感が育っていきます。子どもを包む環境はこうありたいものです。

 同じく横浜市に住む詩人の柏木満美(まみ)さんが「いのちのきずな」という詩を書いています。

 

心の中に/この子たちが/今も/このまの姿で/いつづけてくれているから/何があっても/何がなくても/お母さんは/生きていけるのです/へっちゃらなのです 

 

 それを読みながら、自分の場合も母親が背後で自分を守っていてくれたことを知ります。詩は私たちの精神的環境を追憶させてくれ、一種の内観であるような気がします。感謝、感謝です!(続き)

写真=子どもの無邪気な笑顔に私たちが癒やされます


日本経営品質賞を授与される大串社長

沈黙の響き (その49)

「沈黙の響き(その49)」

苦境は私たちの魂の砥石だ

 

≪オオクシ、日本経営品質賞に輝く≫

 千葉県、東京都、茨城県の首都3県に、カットオンリークラブ、カット・ビースタイルなど、トータルビューティーサロン55店舗を展開している()オオクシ(大串哲史代表取締役社長)が、本年2月、日本生産性本部主催の大会で日本経営品質賞(中小企業部門)を受賞しました。

 大串社長はこれによって事業を営む者の誰しもが望む賞を受賞したわけですが、それ以前にも日本サービス大賞(サービス産業生産性協議会)を受賞したり、稲盛和夫京セラ名誉会長が主催する第20回盛和塾世界大会で稲盛経営者賞を贈られるなどしており、とうとう頂点に立ったといえます。

「ローマは一日にして成らず」といわれますが、大串社長のコツコツとした経営努力が、この賞を授与されたことによっていっそう明確になりました。もとより大串社長は自分の経営力を誇示するための賞コレクターなどではありません。ただ第3者からの評価を知る上で、厳しい審査の目を経た「第3者の評価」は大変に参考になるといえます。これによって、大串社長が目指している経営がどこまで達成されているかを知ることができます。

 

≪オオクシを直撃した東日本大震災!≫

 私は千葉市に本社を置く㈱オオクシの大串社長にかねてから注目しておりました。また私は稲盛名誉会長と親しくさせていただいていますが、その稲盛名誉会長が主宰されている盛和塾で大串社長が経営の勉強をされていると知って急速にお近づきになりました。そしてご縁を得て、大串社長のことを書いた『「思い」の経営――「オオクシ」未来への挑戦』(PHP研究所)を出版しました。

 そんなことで大串社長のことはいろいろ存じあげていますが、大串社長の転機になったのは、平成23年(2011)3月11日、東日本大震災に見舞われたことだったように思います。千年に一度という未曽有の大震災は1万8千人強の命を奪いましたが、この大震災は当時、千葉県を中心に22店舗展開していたオオクシも直撃しました。

 売り上げナンバーワンを誇っていた千葉県鎌ケ谷市のイオンモール鎌ヶ谷店も営業停止に追い込まれ、その他10店舗が液状化によって土砂が流入して、店舗が使えなくなりました。それに東京電力は急場をしのぐために計画停電を実施しましたが、これはバリカンやドライヤーを使う店舗にとっては死活問題でした。

 各店のスタッフたちは店舗再開に向けて必死でしたが、現場の大混乱の中で、給料カット、あるいは解雇という事態になりかねないと考えたに違いありません。特に地位が不安定なパートタイムの人たちはそれを恐れたはずです。現に他社ではそうした事態が進行していました。そこで大串社長は全店にFAXを送り、全社員に宣言しました。

「私は雇用を絶対に守る。大震災だからと言い訳はしない。その代わり、どうしたらこの窮地を乗り越えられるか、みんなで知恵を出し合おうじゃないか!」 

 それが全社員の安心を喚起し、みんなが知恵を出して窮地を乗り切ろうとしました。

 

≪課題に挑戦≫

――停電で営業できない店は他店に応援に行こう。 

 ――開店時間を30分早めよう。あるいは閉店時間を30分遅らせよう。

 ――大震災でみんな暗くなりがちだから、逆にぼくらは笑顔の種を蒔こう!

 そうした数々の提案を実行に移すと意外な効果が現れました。同業他社はダメージを受けて閉店しているので、オオクシに客が流れてきました。それに営業不能になった店舗のスタッフは営業している店舗に加わったので、どんなに混んでもスムースに対応できます。

 大串社長は盛和塾の例会で、「他社が良くないときに頑張れば差がつく!」という稲盛塾長の経営哲学を学んでいたので、陣頭に立って限界を超えるほどに頑張りました。そうした経営努力がオオクシを活性化しました。

その結果、各店舗が大ダメージを受けた3月ですら黒字をキープし、4月以降は前年と同じくらいに回復したのです。そしてこの年、7億1082万円を売り上げ、経常利益9.2%を達成しました。

 

≪「危機に直面したお陰で、会社に魂が入りました」≫

 大串社長は当時を振り返って言います。

「私は『オオクシは全社員のための会社であり、物心両面の幸せを追求する』という経営理念を死守しようとして必死でした。その必死さがスタッフに伝わり、『あの経営理念は社長にとって絵空事ではない。社長は命懸けで守ろうとしている。社長を孤軍奮闘させてはいけない。俺たちも社長を支えて頑張ろう』と、打って一丸となって努力してくれました。

 あの危機のお陰で、私も成長させていただき、店長もフタッフも2周りも3周りも大きくなりました。東日本大震災の危機によって、逆に会社に魂が入ったのです」

 東日本大震災は悲惨でしたが、それに潰されることなく、逆にステップアップのチャンスとなったのです。

 

≪言い逃れをしたある社長の末路≫

 ところがこの大震災によって引き起こされた不況に、社員のリストラという安易な方法で対応した経営者がいました。大串社長も尊敬していたある社長がこううそぶいたのです。

「この不況は長引くぞ。福島原発もあんなことになり、次から次に問題が起きているじゃないか。会社を存続させるためには、経営者はドライに割り切ることも必要だよ。きれいごとを言っている場合じゃない。どうせ社員なんて、会社のことなんか考えていやしないんだ」

 大串社長は耳を疑いました。日頃は社員を称え、社員が最優先だ、社員の幸福のためには何だってやると言っていたんじゃなかったっけ?

 その不信を裏付けるように、その社長は余剰と思われる社員の首を斬り、経営の引き締めを図りました。大義名分は、「苦境を乗り切るために」でした。ああいう危機に直面すると、本音が出ます。社員は敏感に、われわれは使い捨てでしかないんだと感じ取り、優秀な社員も櫛の歯が抜けるように次々と辞めていきました。そしてその会社は往年の輝きを失って、存在しないも同然のような状態になっていまいました。

 

≪その場所が自分の魂を磨く場所だ≫

 人は例外を設けると、堰を切ったように、なし崩し的に崩れていくものです。例外を設けて言い訳をし、重圧から逃れようとする自分を許さず、初心を貫くことは、自分の弱さとの闘いなしにはあり得ません。人間の成長は苦境時にどう対処するかで決まります。

「この状況から逃げない! 受けて立つ。そして見事に乗り越えてみせる」

 そういう姿勢があってこそ、現実が私たちの砥石となって私たちが磨かれ、未来が開けるのだと思います。

 魂を磨くという作業は私たちの今いる場所、つまり家庭とか職場とか、友人環境を離れた場所では起こりえません。自分の公約を成就するために全力を尽くすとき、魂が磨かれるのです。大串社長が本年度の「日本経営品質賞」に輝いた出来事はそれを私たちに教えてくれているようです。なお、大串社長が率いるトータルビューティーサロン・オオクシに興味を持たれた方は、拙著『「思い」の経営 「オオクシ」未来への挑戦』(PHP研究所)をお読みください。(続く)

日本経営品質賞を授与される大串社長

写真=日本経営品質賞を授与される大串社長


ありし日の頼経さん

沈黙の響き (その48)

「沈黙の響き」(その48

盟友の死が投げかけたこと

 

頼経健治さんとのお別れ

 私の一番の盟友である頼経健治(よりつねけんじ)㈱ピローズ代表取締役が四月十七日、間質性肺炎によって逝去されました。享年79歳でした。

 

頼経さんは数年前から間質性肺炎を患っていました。間質性肺炎とは肺の肺胞壁(間質)に炎症が起こる病気で、肺胞壁が厚く硬くなり(線維化)、血液中に酸素が取り込まれにくくなるので、息切れや咳がひどくなります。頼経さんの場合も症状が徐々に悪化し、酸素ボンベ無しには過ごせなくなっていきました。息切れがひどく、五分も歩けなくなったのです。主治医にはかねてから延命治療はしないと意思表示していたので、ある意味で潔い覚悟の死でした。

 

私は作家としての人生に踏み出してからの30年間、頼経さんと陰になり表になりして、手を携えて走ってきたので、その死はとても辛いものがありました。

 

 折りからコロナの感染拡大を防ぐため、外出禁止、三密禁止が叫ばれていたので、葬儀は家族葬で営むとのことでした。しかし私にとって頼経さんは肉親以上の存在だったので、あえて家族葬に参列させていただきました。棺(ひつぎ)を花で埋め、最後のお別れをしたとき、私は図らずも嗚咽(おえつ)してしまい、後に残された者として遺志を引き継ぎ、二人で始めた人間学の勉強会・武蔵嵐山志帥塾(むさしらんざんしすいじゅく)が目指しているものを必ず成就しますと誓いました。

 

頼経さんとの出会い

 私は脳梗塞で倒れるという苦境を経て、平成三年(一九九一)二月、処女作『安岡正篤(まさひろ)の世界』(同文舘出版)を世に送り出しました。それからしばらくして、存じあげない方から一本の電話が入りました。会って話がしたいとおっしゃるので、双方にとって都合のいい渋谷の喫茶店で落ち合いました。

 

スラリと背が高くて精悍な体付きのその人は、

「サンユー建設専務取締役の頼経です」

と自己紹介され、私の処女作を賞讃されました。一般の人で、東洋思想家の安岡先生を知っている人はそんなに多くありません。しかし頼経さんはよくご存じで、安岡先生は日本が分裂しかかった六〇年安保のとき、保守系の国会議員や言論人の先頭に立って戦い、国難を見事に乗り切った人で、私の本は最初の本格的な評伝だと高く評価されました。

 

頼経さんは一方では中村天風(てんぷう)先生の生き方に共鳴し、積極的に取り組んでいると話されました。ものの考え方にヒントを与えてくれた天風先生の著作は私の闘病生活を支えてくれていたので、私は安岡先生と同様に尊敬しており、話は弾みました。

 

頼経さんは慶応義塾大学時代から、奈良県大峰山の修験道で修行した稀有(けう)な人でした。私も冬の阿蘇山に登って断食修行していたので共通することが多く、以来交流するようになりました。

 

武蔵嵐山志帥塾を開催

それから4年後の平成7年(199510月、池袋から約1時間の郊外、埼玉県嵐山(らんざん)町にある安岡先生ゆかりの日本農士学校の跡地に建てられた国立女性教育会館で、年に一度、人間学の勉強会・武蔵嵐山志帥塾を催すことになりました。

 

 頼経さんと相談して講師として招いたのが、車イスのカメラマンとして知られつつあった田島隆宏さんでした。障害を持って生まれた田島さんは座ることも立つこともできず、ベッドに寝た切りでした。ところが田島さんはそのうちに写真で自分の美意識を表現するようになりました。

 

といっても寝た切りですから、自由に動けません。そこで50センチメートルほどの高さの動くベッド状の車イスを作ってもらい、その上に腹ばいに寝て、自分で動き回って被写体を探し、カメラアングルを模索しました。彼の視点は低いので、普通の背丈の人が見落としてしまうものが見えるのです。

 

その動くベッド状の車イスに、田島さんは「バッファロー号」と名前を付けました。彼には動くベッド状の車イスが彼を未知の世界に連れていってくれるたくましい“野牛”に見えたのです。

 

田島さんにはもう一つ課題がありました。腕も手も指も全然動かないのです。それでもケーブルレリーズを口にくわえ、舌でシャッターを切って撮影しました。こうして被写体に50センチメートルのローアングルで迫る独特の作品が生み出され、新鮮な作品が人々を魅了するようになり、あちこちで個展が開かれるようになっていきました。

 

 そのころ撮った写真に「夕暮れとネコジャラシ」という作品があります。例によって五十センチメートルの低いアングルから、暮れなずむ夕日に揺れているネコジャラシを撮ったものです。その昔、一日の活動を終えて、スキップを踏みながら家路を急いだころの郷愁を思い出させる夕暮れのなつかしい色調のなかに、ネコジャラシが揺れています。夕日が最後の輝きを放射していて、作品に見入っている人々の顔を照らし出しているようでした。

 

≪車イスのカメラマンの自問自答≫

田島さんは写真という技法にたどり着くまでは、自分に課せられた運命の過酷さに泣き、恨みました。

どうしてなんだ? これは何の報いなんだ? いつぼくが悪いことをしたというのか?

そう問い続け、堂々巡りしていました。問うても問うても、満足な回答は得られません。ところがある日、大変なことに気づいたのです。

 

「いつまでも犯人捜ししても、埒(らち)は明かない。時間を浪費するだけだ。だとしたら、もう原因究明や犯人捜しは止めて、ぼくはこの状況で何ができるか探そう。ぼくにしかできないものを見つけ出そう」

 

 そして試行錯誤の末に写真にたどりつきました。工夫に工夫を重ねて、彼ならではのアングルが賞讃されるようになり、あちこちの写真展に出品するようになりました。私たちも田島さんを招いて、彼の半生に耳を傾け、その作品を鑑賞しました。

 

 これ以降、毎年10月の連休のとき、1泊2日で武蔵嵐山志帥塾が開催されるようになり、参加者も30名、50名と増えていき、イエローハットの創業者鍵山秀三郎さんが講師を務めた回にはとうとう400名を超すまでになりました。

 

伊勢神宮で催したときは、折りから台風に直撃され、開催できるかどうか危ぶまれましたが、それでも300名の人々が詰めかけ、逆に感動的な集まりになりました。参加を見合わせた人はわずか10名で、それだけ魅力的な会だったのです。今年はコロナ禍のため集えなくなる可能性が高いので、オンラインで、1017日、第27回を開催する予定です。

 

頼経さんはその後、無添加化粧品や健康食品、サプリメントの通販で成功しているファンケルの工務店部門を担当し、続いて銀座で不動産会社ピローズを経営しました。こうして実業家としてもしかるべき実績を上げました。

 

一方では自己啓発に心を砕き、いくつかの研修会を立ち上げ、その世話をしました。武蔵嵐山志帥塾の他にも素行会やようとく会などを運営し、人々に交流の場を提供しました。経営手腕を発揮した実業家は多いですが、社会教育活動でもしかるべき実績を上げた人というのは特筆に値します。

 

≪盟友の死が再考を促したもの≫

ところで頼経さんの死は改めて、私がこの世での生を閉じる前に成就しておけなければならないことを再考させました。

 ――私はどういうことに一番価値を置いて生きてきたのだろうか?

 ――もう73歳にもなり、残された人生はそんなに長くはない。では最後の働きとして私は何に注力すべきなのだろうか……。

 夜も昼も自問しました。そして私が今生の人生でもっとも価値を置いてきた事柄が次第に明確になってきました。

 

私は東洋思想では延暦寺の開祖最澄(さいちょう)が若年僧を育てるとき心を砕いた事柄を肝に銘じています。最澄は『山家学生式(さんけがくしょうしき)』に次のように記しています。

「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らす、これ則ち国宝なり」(直径一寸もある宝玉10枚が国宝なのではなく、その持ち場において一隅を照らすような人が国宝なのである) 

 私も生身の人間なので、地位や名誉、財産などに惹かれます。作家として名声を博し、言論界でそれなりの地位を得、一財産築きたいなどという欲望が私の中でうごめいています。

 

 しかし一方では、そうしたものを手に入れようとして奮闘している間に、私自身が物欲の虜(とりこ)となり、いつしか魑魅魍魎(ちみもうりょう)に堕してしまうのではないかと恐れました。イエスは金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しいと言われますが、これは核心を突いた警告ではないかと思うので、迷ってしまいます。

 

≪イエスが説かれた価値観≫

 さらにイエスの言動の中に、私の心を捉えて離さないものがあります。

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである」

 この「マタイによる福音書」第2540節に記されている言葉は、マザー・テレサの行動の中核となり、神の愛の宣教者会がもっとも大切にしている指針となりました。私が最初の武蔵嵐山志帥塾の講師に車イスのカメラマンを呼んだのも、イエスのこの言葉が念頭にあったからでした。

 

さらにもう一つ、「ヨハネによる福音書」第1224節に明言されている、

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」

 はイエスのメッセージの中でも際立って重要なメッセージです。

 

私はこの言葉に出合った20代の初頭から、私の人生を貫く至高の願望となりました。そうしたことを考え合わせると、世の木鐸(ぼくたく)たるべき作家の一人として、私は一隅を照らす生き方をしている人を顕彰し、下坐に生きている人々が持っている心の平安をいっそう明らかにすることが、私の人生の最後の奉公ではないかと思いました。

 

イエスの時代の昔から、悔い改めるときは荒灰の中に伏し、荒灰を被って行いました。アッシジのフランチェスコは自分たちの修道会を“小さき兄弟会”と呼んで、おごり高ぶることがないようへりくだりました。私もフランチェスコのように、自分を小さい者として謙遜し、天のメッセージを地に取り次ぐ存在でなければならないと感じています。

 

≪「沈黙の響き」に耳を澄ます≫

一昨年9月に行った心臓のバイパス手術以来、私は「沈黙の響き」に耳を傾けるようになり、内省の傾向が一段と強くなりました。そうしたこともあって、上に述べた「一隅を照らす」「小さき者に心を注ぐ」「一粒の麦であろう」という価値観がいっそう強くなりました。これは貴重な財産で、死守すべきものです。

 

 コロナの猛威がもう1年半続いています。マスクをし、ソーシャル・ディスタンスを保つよう心がけ、消毒を徹底するのは当然のことですが、私はそれだけに終わるべきではないと思えてなりません。今一度つつましい生活に立ち返ることが私たちの生活の中心でなければならないのではないでしょうか。(続き)

ありし日の頼経さん

写真=ありし日の頼経さん

 


宇宙からみずみずしいいのちの惑星・地球に見入っているあなた

沈黙の響き (その47)

『沈黙の響き』(その47

はるかなる宇宙からの呼び声(2)

 

≪最初から悪い子なんておらんよ≫

 今はすっかり白髪になってしまった故辻光文(こうぶん)先生は、自分に転機をもたらしてくれたS子ちゃんのことをこう語りました(インタビューは2015年)。

「問題はS子ちゃんにあったのではなく、S子ちゃんを全面的には受け入れていなかった私にあったのです。ことわざに『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』とあるように、猫よりも弱いネズミは普段猫に嚙みつきませんが、追い詰められると猫にでも噛みつきます。

 問題児といわれる子は追い詰められてそうなっており、その事情を理解せず、問題児というレッテルを貼っていた私の方に問題があったのです。S子ちゃんはそのことを私に教えてくれたのでした。

 学園に新しい子が来るとみんな決まって、先生、今度来る子ってどんな悪さをやらかした子なの? と訊くもんです。でも私はみんなを諭します。

『最初から悪い子っておらんよ。あんたらもここに来るときは、どんなところに行かされるんやろと心配やったろ。それと同じや。ほやからその子がどんな無茶をしようが腹を立てんと、仲ようしてあげてよ。よう面倒見てあげるんやで』

 すると、よっしゃ、わかった、まかしとき! と受け入れ態勢をつくるもんです。子どもの内からの叫びを聞いてあげたとき、錨を下ろす港がなくてほっつき歩かざるを得なかった子どもは落ち着いてくるんです」

 ややもすると私たちは、表面上、当座はおとなしくしている問題児の行動を近視眼的な目で見て、「教育の効果が出た」などと喜んでいます。ところが自分の期待に反する行動に直面すると、「裏切られた」と怒り、訳知り顔に「一度道を踏み外した者が立ち直るのは難しい!」などと憤慨します。

でも、そうなんでしょうか。

そうではないと辻先生は断言します。子どもたちは辻先生から大きく受け入れられたから、自由で屈託なく過ごすようになりました。子どもたちは落ち着きを取り戻し、情緒が育ち、辻さんの家庭学寮は錨を下ろすことができる母港になり、ごく普通の子どもになっていきました。子どもたちと辻先生の心の交流を支えた「交流日記」は実に800冊あまりになりました。そういう目に見えないコツコツとした努力が、問題を抱えた子どもたちを立ち直らせたのです。

 

≪生きているだけではいけませんか?≫

 小舎夫婦制という教師夫婦の献身的努力に支えられた教護教育は、子どもたちと生活しながらの24時間教育なので大変です。しかし、子どもたちは裏表のない真実の愛に敏感に反応してくるので、極めて効果が上がります。

 学園の教師たちは問題を起こした子どもを引き取りに警察署に行ったりして、なぜ誠意が子どもに通じないのかと途方に暮れたりします。辻先生も子どもたちに翻弄されてくたくたに疲れることもありましたが、それでも不思議な充実感に満たされました。

「教護教育の効果があったとか、なかったとか、そんなこざかしい思いを超えて、子どもの体の中で息づいている“いのち”を見ると感動します。みんな、途方もなく広い宇宙の厳粛なる“いのち”をいただいて尊く輝いているのです。私たちはその“いのち”を感謝して、精いっぱい生きればいいのです」

 辻先生は子どもたちの“いのち”にみ仏の力を感じていたのです。そして驚くべき信条に言及されました。

「だからこそ絶対肯定! そして絶対肯定! さらに進んで絶対肯定! 何があっても絶対的に肯定します。それがみ仏を信じ、その子を信じるということです」

 信じるということはそういうことかと思わざるを得ませんでした。南禅寺の柴山老師が太鼓判を押したように、辻先生の“受容”には絶大なものがありました。

 辻先生はそれを「生きているだけではいけませんか!」という詩で表現しました。長い詩なので、ここでは最後の三分の一ほどの部分を紹介します。

 

そもそも人間とは、

そしていのちとは、

この自分とは何なのですか?

「いのちはつながっている!」と平易に言った人がいます。

それはすべてのものの、きれめのない、つなぎめのない、

東洋の「空」の世界でした。

 

障害者も、健常者も、子どもも、老人も、病む人も、あなたも、わたしも、

区別はできても、切り離しては存在し得ない“いのち”。

“いのち”そのものです。

それは虫も、動物も、山も、川も、海も、雨も、風も、空も、太陽も、

宇宙の塵の果てまでつながる“いのち”なのです。

 

劫初(ごうしょ)よりこの方、重々無尽(じゅうじゅうむじん)に織りなす“いのち”の流れとして、その中に今、私がいるのです。

すべては生きている。というより、生かされて、今ここにいる“いのち”です。

その私からの出発です。

すべてはみな、生かされている。

その“いのち”の自覚の中に、宇宙続きの、唯一、人間の感動があり、

愛が感じられるのです。

本当はみんな愛の中にあるのです。

生きているだけではいけませんか。

 

大自然の“いのち”はそこここに、これ見よかしと噴出し、わが世の春とばかりに謳歌しています。そのことを誰よりも感じている辻先生は“いのち”を謳歌することを全面的に支援されています。

「“いのち”は全部つながっているのです。そして私たちはお互い助け合うようになっています。自分の物差しに合わないからと切り捨ててはいけなせん。遠い太古の昔から、重々無尽に、子どもたちに流れ込んでいる“いのち”を生き切るようお手伝いしたい。それが私の役目だと自覚しています」

 

≪〝いのち〟のよび声に耳を澄まそう!≫

 辻先生は、ややもすると四角四面の規則を押し付けることになりがちな道徳教育を脱して、子どもたちそれぞれがみ仏から授かっている〝いのち〟を全うさせようとされた〝いのちの教育者〟でした。

“いのち”は響きを持っています。あるか無きかのかそけき響きですが、メッセージを発しています。忙しくしている人の耳には届きませんが、しかしとても重要なメッセージです。辻先生のような繊細な魂はその〝沈黙の響き〟を聴き取ってその人とのコミュニケーションがなり立ち、手を差しのべました。

“沈黙の響き”は“いのち”が発している声です。その声を聴き分ける人は魂を救う人であり、世の救いです。そんな人がいる社会は決してみずみずしさを失いません。だから辻先生のような“沈黙の響き”に耳を傾ける人が、ここにもあそこにも必要なのです。こうして私たちのコミュニティは心豊かな人間社会に一歩一歩近づいていきます。かそけき声に耳を傾けることはとても大切なことでした。

ああ、はるかなる宇宙からの呼び声よ! 

ただただ心耳を澄まし、ありがたく合掌し、自分の務めを果たていくばかりです。(続き)

宇宙からみずみずしいいのちの惑星・地球に見入っているあなた

写真=宇宙からみずみずしいいのちの惑星・地球に見入っているあなた