日別アーカイブ: 2022年1月29日

樋口さん

沈黙の響き (その86)

「沈黙の響き」(その86

どピンちゃんと呼ばれる女の子

 

 

 この「沈黙の響き」に新潟県十日町市でNPO法人支援センターあんしんを運営される樋口功さんのことを書いたら反響が大きかったので、今回もあんしんのことを書きましょう。

樋口さんは本業の北越融雪株式会社の資材置き場兼工場の片隅に、四畳半の部屋を仕切ってNPO法人支援センターあんしんを始めました。

当初は北越融雪から部品作りを下請けしていました。しかし内職程度の仕事ではろくに工賃を支払えません。障がい者に自立できるだけの工賃を払いたいと模索していました。

 

≪目からウロコ≫

そんなある日、自宅のトイレットペーパーが無くなったので、棚から替えを出して使おうとすると、

「この売り上げは障がい者の賃金に当てられます」

という印刷が目に飛び込んできました。

「エッ! これは」

と驚いて奥さんに訊くと、

「今ごろになって何を言ってるの。お義姉さんが毎年贈ってくださっているものよ」

と言われました。「灯台下暗し」とはよく言ったもので、関心がなければ見えるものも見えない。実姉が近所の福祉作業所で買い求めたトイレットペーパーをずっともらっていながら、別段注意を払っていなかったのです。

 

これだ! と思った樋口さんは早速お姉さんに電話して今までのお礼を言い、

「ところで流山市の福祉作業所を見学に行きたいんです」

と申し出ました。千葉県流山市の福祉作業所は12、3人の利用者が働いている小規模作業所です。あんしんも同程度の小規模作業所なので、これなら自分たちにもできそうだと思いました。

 

≪中古の半自動製造機を探す≫

しかし、それからが大変でした。製造工程が手作業でできる半自動トレットペーパー製造機はすでに日本国内では製造しておらず、人手が要らない全自動製造機しかありません。値段は11億円近くします。目の前が真っ暗になりました。それでも中古の半自動製造機はないかと全国の製紙工場に電話をかけまくりました。

 

それから半年も経ったころ、静岡県富士市にある小さな家庭紙製造所から、

「倉庫の奥に昔使っていた機械が2台ありました。使えるかどうかはわかりませんが、2台を分解して1台にすれば何とかなるかもしれません」

と電話がありました。

 

樋口さんは取るものもとりあえず富士市に飛んで行き、年代物の半自動式のトイレットペーパー製造機を入手しました。こうして重さ250キロの大きなロールペーパーをトイレットペーパーの大きさにまき直して裁断し、包装の段階で障がい者が加わるようにしました。

 

あんしんのトイレットペーパーはていねいに1個ずつ包装しているだけでなく、取り出しやすいように、ペーパーの末端を三角折りにしています。これはお客さまから最初の巻き端が剥がしにくいとの声を受けて改善したのですが、もう一つ理由があります。障がい者に参加してもらうために、手作業で三角折りを始めたのです。

 

≪中越地震に直撃され、存亡の危機に陥る≫

ところが平成16年(200410月、中越地方が中越大震災に見舞われ、工場が大規模半壊となり、機械も損壊してしまいました。このまま冬を迎えれば、三メートルを超える積雪のため工場が崩壊する危険があり、中断せざるを得ません。あんしんに通うことが生きがいになっている障がい者や保護者から不安が寄せられ、身を切られるような切ない毎日でした。

 

製造再開はもう無理かと諦めかけたとき奇跡が起きました。毎日新聞が全国版で、

「地震に直撃されて、NPO法人が存続の危機に直面している!」

 と報道したのです。続いて他の全国紙も相次いで取り上げたため、全国から多くの支援が寄せられました。またある製紙メーカーは損傷した機械よりも生産能力が10倍も高い半自動中古機を無償で提供してくれました。加えて全国から注文が次々と入るようになりました。

 

≪作業所での「どピンちゃん」の役割≫

28歳になる知的障がい者どピンちゃんは、あんしんで働いてもう10年になります。担当はトイレットペーパーの製造工程です。

どピンちゃんとはちょっと変わったニックネームですが、そんな呼び名がついたのは、彼女は椅子に座ったまま上下に飛び跳ねるという“得意技”を持っているからです。いつも飛び跳ねているユーモラスな姿を見て、みんながいつの間にかそう呼ぶようになりました。

 

どピンちゃんの仕事はトイレットペーパーを1個ずつ個別に包装しているチームの最後の工程を担当しています。正確にいうと、包装紙を紙芯の中に押し込んで個別包装の工程を終えますが、その最終工程がどピンちゃんの役割で、彼女は包装紙を指一つで押し込んで製造工程を完了します。

 

 そんな工程を考案した樋口会長は誇らしげにこう説明しました。

「そんなことが一工程になるの? と驚かれるでしょうが、これも立派な一工程です。ワークセンターあんしんは就労支援の施設なので、働く意欲をとても大事にしています。どんなに障がいが重くても、働く気持ちさえあれば参加できるように、工程を作っています。働く場所ができると障がい者は存在感を持ち、そこで輝けます。誰ものけ者にされません」

 

「でも、そういう余計な工程を作ったら、経済効率から見てなり立たないのでは?」

 そう問うと、樋口会長はこれまで何度もそういう質問を受けましたと言いつつ、それでもなり立っていくシステムを説明されました。

 

≪経営効率よりも大切なもの≫

「私たちが一番大事にしているのは経済効率ではなく、働く意欲がある障がい者は働いてもらい、自分の手で給料を稼ぎ、自立してもらうことなんです。それではワークセンターがなり立たないだろうと言われますが、もちろん普通にやったらなり立ちません。

 では、なり立たせるためにどうするか――そこから知恵を絞り、工夫が始まります。10円でも百円でも切り詰められるところは切り詰め、なり立つように道を模索します。

 

障がい者を送迎する運転手は一般企業をリタイアしてそんなに稼がなくてもいい人たちに、朝2時間、夕方2時間だけ運転してもらっています。ワークセンターで使う電気製品やパーテーション、椅子、机などはすべて、解体工事をしている工務店から要らなくなったものを貰ってきます。

 みんなが昼食べている弁当は私たちが運営している給食センターが、農家が市場に出せない規格外の作物を安く買ってきて作っています。こうして節約できるところは大いに節約して、障がい者に給料を出せるようにしているのです」

 

樋口会長はワークセンターの「経営計画書」を示し、計数管理がしっかりされていることを見せてくれました。5円、10円の節約に裏打ちされて事業はなり立っていました。そうした努力の結果、どピンちゃんは何と月額2万5千円と年2回のボーナスを得ているのです。これは新潟県の障がい者の平均賃金の約2倍です。

 

どんな人でも給料日は最高にうれしい日ですが、それはどピンちゃんでも同じこと。1か月の給料をいただくと、飛び跳ねて喜びます。その姿を見て、仲間たちも職員もいっそう幸せな気分になります。

 

樋口会長はどピンちゃんが果たしている役割に言及しました。

「実はどピンちゃんは作業所のムードメーカーとして、とても大事な役割を果たしてくれています。一緒に働いている仲間にとって、ユーモラスな彼女のしぐさは職場の雰囲気をとても明るくしてくれています」

 樋口会長の一人ひとりに対する積極的評価がみんなを生き生きとさせているのです。

 

「障がい者が働く場をつくりたいと始めた作業所が人手をかけないための機械化を進めては何の意味もありません。むしろ世の中の流れに逆行してコストを2の次にし、それを理解し認めていただける方々に私たちのトイレットペーパーを使っていただいています。

 

≪誰も置き去りにしない社会≫

2015年の国連総会で、SDGs(持続可能な開発目標)が採択されました。その目標の一つである、『誰も置き去りにしない社会を実現する』に向けて、具体的な努力を続けていきたいと思っています」

 

 しっかり採算性を考えている経営者の目がキラリと光ります。「一念、巌をも穿(うが)つ」とはよく言ったものです。今では年間110万個、生産できるようになり、三角折りも続けています。

樋口さん

包装段階で作業している障がい者たち

あんしん新年会

写真=NPO法人支援センターあんしんを運営する樋口会長 包装段階で作業している障がい者たち